2022年6月18日 土曜日 晴時々曇 20-29℃
南条郡南越前町にある日蓮宗寺院は9ヶ寺。
これらの寺院を訪問するにあたって、便宜上この地域を下の地図のように三区分する。
今日はこのうちA区の三ヶ寺、妙泰寺、秀香寺(しゅうこうじ)、歓喜寺を訪問する。
さらに、この地区には法華宗のお寺の本高寺もあるので、ここも訪問することにする。
訪問の順は、南の妙泰寺から始めて北上し、最後に歓喜寺を訪問の予定。
福井市内はいつもの旧街道の北陸道を走り、鯖江まで行き日野川にかかる有定橋の手前で河川敷に降りて、丹南サイクリングロードを走る。
「しくら橋」の上が越前市と鯖江市の境界になっていることを知った。
河川敷サイクリングロードから国道365号線に入り、南条の方へ向かう。
東大道に到着。妙泰寺はこの辺りのはず。
寺院の近くには、寺院に導くための題目塔が建つ。
このような塔は寺院の入り口の近くでよく建てられているもので、吹雪に見舞われて道路が消えた時などに、遠方からでもすぐにわかるように通行人の安全を図ると共に、信仰心の証しを示すものとして建てられている。
北陸線の踏切を横切って、総門に到着。
妙泰寺は「北國身延」とも称される。
本寺を7回参詣すれば、身延の総本山に詣でたの同じ功徳を得られるそうだ。
私は今回が3回目だから、あと4回参拝しないと...
参道の両脇には塔頭(たっちゅう)の跡が並ぶ。塔頭は全部で9ヶ寺擁していたらしい。
「塔頭」というのは、祖師や門徒高僧の死後にその弟子が師の得を慕い、大寺に寄り添って建てた庵などの小院のことである。
各塔頭の跡にはそれを示す石碑が立つ。
山門(仁王門)が見えてきたが、門に行く前に境内の案内板をみよう。
橘曙覧は幼少の頃この寺で学問を積んだそうだ。
庫裡
客殿
では、山門(仁王門)へ。
妙泰寺は、永仁2年(1294年)日蓮大聖人の法孫である日像菩薩が巡化の途次に、甲州の身延山を彷彿させる当地に一寺を建立して開山・開基。
本堂前には、日蓮大聖人と日像上人の銅像が建つ。
本寺は、越前最初の根本道場となり、「妙顕寺四箇聖跡」の一寺に列する。なお「妙顕寺四箇聖跡」の他の三ヶ寺は、妙勧寺(越前市今宿)、妙顕寺(敦賀市元町)、妙興寺(小浜市鹿島)。
広い境内には、延享3年建立の本堂をはじめ、宝蔵、五重塔、鐘楼堂などが樹齢300年ともいわれる老杉に囲まれている。
妙泰寺ではもっとゆっくり時間をとりたいとも思ったが、空模様がちょっと心配なので、先を急ぐことに。
次の本高寺へ向かう。
この寺は以前にも一度訪問しているので、場所はわかっている。
本高寺(法華宗八品派本能寺末)は、弘治2年(1556年)日等本山15世開基。
昭和39年本堂を改修した。
なお、本高寺及びその門前が真言宗から法華宗に改宗したとき祀ったという「天神堂」が東谷にあるが、この寺に関係があると思われている。
続いて、秀香寺へ向かう。
秀香寺の縁起は少し変わっている。
明治22年に三つの寺院が合併したのである。
妙泰寺18世住職日慶僧都が合併開基し、現寺号を公称した。
その三寺院とは...天文16年(1547年)に本覚院快丹律師が創立の成就寺、弘治2年(1560年)に華光院日丹律師(妙泰寺5世日為の弟子)が創立の常妙寺、元和元年(1615年)に蓮光院日然律師が創立の蓮光寺の三ヶ寺。
合併の理由は...少檀微禄により維持困難となったためで、新寺は常妙寺の旧跡に建てられた。
昭和41年に庫裏を再建、昭和57年に鐘楼堂を再建した。
境内には三十番神を祀る小規模ながら番神堂がある。
最後に、歓喜寺へ向かう。
歓喜寺の歴史は浅い。
昭和初期に当町の沢崎彌三郎恩師(廣導院殿)の絶大なる釈尊の真理、法華経による神通力に、県内外より信徒を雲集して、小川辰治恩師(廣宣院殿)が開山した。
昭和15年大伽藍が完成。
昭和20年豪雪被害で一部倒壊し妙見堂を残して焼失。昭和56年再建復興。
妙見堂
釈迦堂
お地蔵様もコロナ感染しないように...
江守清喜翁の石碑が建つ。日華化学の江守様と関係ありそうです。
最後に沢崎彌三郎恩師(廣導院殿)のお墓をお参りして帰路についた。
日差しは弱かったものの、気温はやや高めで湿度が高かったせいか、やはり疲れた。
走行距離65km。自転車のバッテリーは50%、私の体力は90%の消耗。
今日はゆっくり寝よう...