2022年11月 6日 (日)

法華宗お寺巡りサイクリング 21 (鯖江市東部)

2022年11月6日 日曜日 快晴 6-18℃

嬉しいことに、ここ数日良い天気が続いている。今日は鯖江市内の東部にある法華宗のお寺を3ケ寺訪問することにする。

訪問するお寺は下の地図で、妙好庵、妙正寺、法華寺で、この順で訪問する予定。

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福井市から鯖江市までは旧北陸道(北国街道)(鯖江市内では「歴史の道」という愛称が付いている)を南下し、鳥羽で浅水川の堤防沿いに東方へ走り、高速道路の向こう側に渡ったりまたこちら側に戻ったりして道に迷ったが、何とか下河端の集落に入り、妙好庵に到着した。

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妙好庵は法華宗真門流の寺院で、尼寺だと思われる。

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妙好庵から外れてすぐのところで、題目塔が2塔建っていることに気づき、立ち止まって確認する。

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かなり風化しているが、上の塔では「天下泰平五穀豊穣」、下では「奉唱満玄佛(?)三千百五十部」の文字が読める。何の記念碑だろうか?

次は、また歴史の道に戻って、南下して舟津町の妙正寺へ向かう。

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妙正寺は、法華宗本門流の寺院である。

法華宗の宗派には、本門法華宗と法華宗本門流とがありややこしい。

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三十番神を祀っているようだが、中は見れない。

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開基は法華宗本門流の派祖である日隆上人である。Pb060164

下の碑は日像菩薩作とあるから、かなり古いものと思われる。
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続いて、歴史の道を逆行北上して水落の法華寺へ向かう。

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法華寺は法華宗真門流の寺院。創立は長禄3年(1459年)。

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開山・開基は實然法印上人(本山平等会寺3世)である。

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帰路は、同じく歴史の道で福井に向かい、往路と同じく北国街道で帰宅する。

走行距離は42km。

2022年11月 4日 (金)

法華宗お寺巡りサイクリング 20 (鯖江市西部)

2022年11月3日 木曜日 晴 10-22℃

昨日に続いて穏やかな晴天日。こんな日にジッとしていられない。今日は鯖江市内にある法華宗の寺院巡りに出かけることに。

鯖江市内にある法華宗の寺院は、次の地図で見るように全部で七ヶ寺。なお平等会寺には境内に2つの塔頭(たっちゅう)寺院もある。

このうち、今日の訪問予定は、鯖江市の西部にある題目堂(隆宝教会)、平等会寺、本蔵寺、盛隆寺の4ヶ寺をこの順で巡る。

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福井市から鯖江市へは県道182号線、252号線で南方へ走る。

鯖江市に入って、浅水川にかかる弁天橋を渡って、商店街の路地を東方へ走ると、左手に題目堂の石塔が見えてきた。

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たまたま何かの法要があるようで、数人の参拝者があり、読経の最中であった。

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題目堂は、「隆宝教会」という法華宗本門流の寺院として登録されているようだ。

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続いて西方に向かって日野川の左岸に行き、堤防道路を南下して平等会寺へ向かう。吉川橋で右折して平井の集落に入り、平等会寺に到着。

法華宗真門流平等会寺は、最初は弘仁年間(810-820年)に建てられた天台密教の大寺であったと伝えられている。

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その後約500年を経て、日蓮聖人の法孫日像菩薩が北陸弘通の時、妙法の結縁にあい、天寿2年(1376年)日妙阿闍梨(アジャリ)の時改宗して、寺号を妙法山平等会寺と改めた。

山門は全体が禅様式でまとめられ、一間一戸の四脚門、笏谷石を四半敷とし、全て円柱で整えられている。Dscn4170

本堂を中心とした伽藍はよく整っている。文政2年(1829年)の火災後、安政2年(1855年)までに再建されたとされる。

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本堂の右手には三十番神堂が建つ。文政12年5月、当山末寺織田町上戸成道寺よりの奉納により移転再建されたものである。

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左手には祖師堂が建つ。文政12年3月21日、平井大火にて類焼し、4月下河端講中協議の結果、万場一致にて御講堂を移築し現在の祖師堂とした。

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堂内には、中央に日蓮聖人の木像を安置し、向かって右には本山開祖日真和尚の木像、左には当山開基日妙阿闍梨木像が安置されている。残念ながら堂内を見ることはできなかった。

次は一切経堂。「一切経」とは、仏教聖典の総称、大蔵経ともいう。お釈迦様の全ての教えである。

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明治39年下河端八田次郎兵衛、八田善左衛門、八田平七氏三名にて、当山38世日命上人代に、金沢妙国寺蔵より移し寄進されたた。平成14年三氏にて再改築。

現在北陸において一切経堂があるのは当山と数ケ寺だけ。

本山開祖日真大和尚(左)、開基日妙阿闍梨(右)の記念石碑。

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当山歴代霊廟。

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鐘楼は、木割(各部材の寸法の比率)が大きく、保存状態の良好で、寺院の伽藍景観に大きな役割を果たしている。Dscn4177

境内には、塔頭寺院の常在院と真行院が建つ。

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最後に日蓮大聖人像を拝んでお寺を後にする。

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次は二丁掛町にある本蔵寺に向かう。

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本蔵寺の創立は天正5年(1577年)8月28日。開山は栄得院日等。

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元禄七年(1694年)と記されているが、何の記念石塔だろうか?「壇那中」の意味がわからない。

最後に、盛隆寺へ。

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盛隆寺の創立は、寛永14年(1638年)、開山は圓蔵院日教上人。

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石碑には「享保九年四月二十六日 當寺中興」と記されている。享保9年は1724年。中興ということは、火災か何かの後に新しく立て直したことかな?

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別の題目塔には、「開基日真大和尚」とある。

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帰路は日野川沿いの丹南サイクリングロードを利用して福井市に向かう。

いつもは日野川左岸沿いの堤防を走り、清水山橋を渡ってから右岸を走るのだが、今回は初めて朝宮橋まで走り、ここで右折して福井市街地に入り帰宅。

走行距離は44kmだった。

2022年11月 2日 (水)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 19(今庄:妙文寺)

2022年11月2日 水曜日 晴  今庄:9-19℃

天候は穏やかな快晴。気温はやや低めだが、冷たい北風が吹くことはなさそう。

今日は南越前町(旧今庄町)広野にある妙文寺を参拝する。

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福井から妙文寺までは約50kmあり、自転車で往復するには無理がある。

今回もミニベロのダホン・ルートを車に積んで今庄駅近くのサイクリング・ターミナルまで行き、そこからサイクリングを開始することにする。

サイクリング・ターミナルから妙文寺までの距離は約10km。

お寺までなだらかな登り坂がずっと続くはずで、獲得標高は約140メートル。

国道476号線から県道231号線に入ると、交通量はぐっと少なくなり、のどかな田舎の風景を見ながら走るのは楽しい。

宇津尾までは日野川右岸の農道を走る。紅葉も始まりかけている。

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宇津尾で日野川の橋を渡って、左岸の県道231号を走り、広野の集落に入る手前まで来ると、お題目を刻んだ岩が見えた。妙文の題目岩と思われる。

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前方には広野の集落が見える。

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700メートルほど走ると、右手にお寺の大きな屋根が見え、それに向かって走ると、石塔と立派な鐘楼が見えた。

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妙文寺の開山は、正平元年(1346年)日像の弟子の妙文で、この名称の寺院は全国で当寺だけである。

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妙文は妙泰寺2世として在住したが、後に当山を建立して閉居し、当地において遷化(没)された。

元は妙顕寺の末寺であったが、元禄11年(1698年)に義に背いたことにより寺を破却され、それより30年来は小庵となった。

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幸い本堂の戸は開き、本堂の中に入って参拝する。

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堂内では三十番神を祀っている。

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享保13年(1728年)、妙覚寺の日宥がこの旧跡を拝領され本徳寺と改称したが、のち妙文寺と復称した。それにより妙覚寺末となり日宥は中興の祖と仰がれる。

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七面堂と思われる。

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妙文御廟所と思われる。

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集落の道路を挟んで反対側に春日神社が建つが、妙文寺と関係があったかどうかは不明。

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復路は往路とは逆に、宇津尾まで日野川右岸の農道を走り、宇津尾からは県道を走り、他の神社や寺院も簡単にお参りしがなら帰路についた。

走行距離は20km。

2022年11月 1日 (火)

法華宗お寺巡りサイクリング 18 (善隆寺、妙正寺)

2022年10月30日 日曜日 晴 7-19℃

天気は良いが、気温はやや低めで、冷たい北風が吹く。サイクリングの服装はやや厚着にする。

今日は、法華宗のお寺巡りとして、越前町(旧丹生郡朝日町)栃川にある善隆寺と、福井市南居町にある妙正寺を訪問する。

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福井市から福井四ケ浦線(県道6号)で西方に走り、上天下町あたりで志津川にかかる小羽橋を渡って左折、県道253号線(清水麻生津線)を南下して越前町へ向かう。

島寺町、御油町、真栗町、甑谷町、在田町の集落を順次過ぎ、天宝で右折する。

ナビは山道を登る道に導くが、後で知ったのだが、参拝の順当な道は山道にのぼる手前で右折して、栃川の集落に入って行くのがよい。

次の写真は善隆寺の題目塔であるが、参拝後の戻り道で見つけた。

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題目の文字は風化して全く読めない。かろうじて、善隆寺の寺号が読める。

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山道を登らずに栃川の集落に入って行くと、お寺の参道階段と山門(鐘楼門)が見えてくる。

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次は本堂の側から見た鐘楼門。

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お寺の縁起等に関しては、文政5年(1822年)の火災の節に書類等が消失・不残のため不詳である。

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山の上に、お寺のすぐそばに熊野神社が建つ。神仏習合の時代に関係があったのかどうかは不明。

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次は、福井市南居町の妙正寺へ向かう。

県道32号線(清水美山線)で東方へ向かい、清水山橋を渡って日野川の反対側に行き、県道182号線に入って北上すると、妙正寺の題目塔が見えてきた。

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県道から右手に外れて南居の集落に入って行くと、左手に題目塔が見えてくる。

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山門の手前の右手には墓地がある。

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山門をくぐって本堂へ。

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妙正寺の縁起に関しては、明和6年(1769年)の火災で旧記を消失し不詳。

ただ、境内にある墓碑から、開基は承応2年(1653年)常照院日惠聖人であることが分かった。

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境内には、欅と思われる切り株が残っている。その大きさからお寺の古い歴史を感じる。

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お寺の西側、県道182号線に面して大己貴(おおなむち)神社が建つ。

神仏習合の時代にはお寺と関係があったと思われる。

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神社を離れ、県道を北上して帰路についた。

走行距離は38km。

2022年10月29日 (土)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 17(南越前町今庄)

2022年10月29日 土曜日 今庄:晴・曇 7-15℃

天気は良いが、冷たい北風がやや強く吹く。

今日は南越前町の次の4ヶ寺を訪問する予定。慈眼寺は曹洞宗のお寺である。

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福井から今庄までを自転車で往復するには距離的に無理があるので、ミニベロのダホン・ルートを車に積み、今庄のサイクリング・ターミナルまで行き、そこからサイクリングを開始することにする。

サイクリング・ターミナルはJR今庄駅・線路の東側にあり、目的のお寺などがある今庄町の街並みは駅・線路の反対側にある。

線路を横切って(正確にはアンダーパスを通って)反対側に出るための自転車道路は、今庄駅から北方へ数分行ったところに一か所しかない。

線路をくぐって、今庄駅の方に戻り、駅を左手に見ながら細い道をちょっと走ると、右手に願満寺の境内と思える墓地が見えてきた。

お寺の裏口にあたるようなところから境内に入り、正門の方に向かうと、特徴のある鐘楼門が見えてきた。

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願満寺は元亀元年(1570年)の創立。

領主赤座但馬守景秋の奥方の願いにより建立された。

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当初華岳寺と称していたが、後改称。

開基は本珠院日宝。その記念塔が境内に建っている。

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寛政11年の大火で類焼、のち再建し修復改装した。

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続いて善勝寺へ向かう。地図を頼りに細い路地をあちこち5分ほど走って到着。

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善勝寺の創立は文禄元年(1592年)、京都妙満寺日教上人の弟子日恵の開山。

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珍しい土蔵造りの本堂、庫裏となっている。

寛政11年の大火で類焼し、続いて文政6年と天保8年にも大火で類焼等により記録宝物等の一切を焼失し、由緒は不明。

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昭和19年に36世日歓の代に顕本法華宗より日蓮宗に改宗。

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尼僧が逝去されてから30年以上無住職寺院となっている。

最大10軒あった檀家は、平成元年には8軒、現在(2019年)は5軒になったとのこと。

今庄は宿場町として発展した町で、現在でも当時の建物などが多く現存している。

狭い路地の街並みは、自転車で回るには好都合である。

ついでにあちこち古い建物などを見て回る。

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古い商家の入り口の軒下にこんなものを見つけた。大曼陀羅が顕しているものと同じかな?

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・・・

この後の行程としては、今庄の町を離れて国道476号線を走り、久成寺と曹洞宗の慈眼寺を参拝する予定だったのだが・・・。

冷たい強い北風が吹いているので、サイクリングは中止して、自動車で参拝することにする。

国道476号線をしばらく走り、右手に外れて古木の集落に入り久成寺に到着。

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久成寺の開山は日琢。2世日性により創建された。

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日性以来、歴代が神明社の別当(神仏習合が行われていた時代に神社を管理するために置かれた寺)を兼ねていたが、9世日妙の代に分離した。

その神明社はお寺のすぐ近くに建つ。

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以來住職が断続して、いつの頃にか在俗の人によって久成寺と記されるようになった。

しかし当地区の各宗仏教会では久昌寺が通用されているとのこと。

国道476号線をさらに東方へ走って、慈眼寺へ。

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慈眼寺の創建は嘉慶元年(1387年)、天真自性禅師が開山したのが始まり。

杉並木がすごい。

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歴代領主から帰依されたことで寺運が隆盛し、天真派の根本道道として最盛期には境内に7堂伽藍が立ち並び、塔頭17ケ寺、全国の末寺は1200ケ寺を数えたという。

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中世には朝倉氏に庇護され、朝倉氏が織田信長により滅ぼされると、当地は織田家の家臣である府中三人衆(不破光治、佐々成政、前田利家)が支配し、連名で寺領21石が安堵されている。

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国道476号線は交通量も少なく、サイクリングには最適の道路だ。

国道沿いには他にも見所がある。

いつか、サイクリングで再度訪問し直すことにしよう。

2022年10月26日 (水)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 16(南越前町B)

2022年10月26日 水曜日 快晴 6-19℃

素晴らしい秋晴れ。

今日は南越前町の次の三ヶ寺を訪問する。高照寺は法華宗のお寺である。

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車にミニベロのダホン・ルートを載せ、北陸高速道路南条SAの道の駅「南えちぜん山海里」まで。ここからお寺巡りサイクリングの開始である。

305号線を南西の方へ10分ほど走り、上別所の集落に入って右手に折れると、高照寺の題目塔が見えてきた。

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高照寺は、文明年間1480-1487年日遊上人の創建。

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立派な山門をくぐるとすぐ本堂へ。

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残念ながら本堂の戸には鍵がかかり、中に入って参拝することはできません。

本堂内には「三光堂」があり、三十番神が安置してあるらしい。

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本堂は明治28年10月に再建されている。

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境内にある高さ15メートル、胸高周囲4.5メートルの大欅二本の樹齢は推定500年といわれ、町でも屈指の古木である。

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高照寺を後にして、305号線を戻って日野川沿いのサイクリングロードを南の方へ走り、湯尾の妙法寺へ向かう。

日野川沿いのサイクリングロードは快適。

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サイクリングロードから右手にそれて、湯尾谷川沿いに走り、すぐに妙法寺に到着。

妙法寺は、天文元年(1532年)寶泉院日善上人が開基と伝えられる。

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明治4年の大火により堂宇が類焼し、寺の記録什器等は焼失したため沿革は不明。

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現在の本堂は、明治5年今庄禅宗陽林寺が廃寺となるに及び、堂宇を購入したものである。

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妙法寺を離れ、日野川の反対側に渡り、南条の方へ戻る方向に走り、蓮華寺に向かう。

202号線を東の方に走って、途中にある杣山神社を参拝する。

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阿久和の集落に入って、蓮華寺に到着。

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蓮華寺は、天正2年(1574年)妙泰寺6世円珠院広春の隠居寺として創設された。

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元禄年中に、妙泰寺13世九織院日琢が荒廃した堂宇を現在地に移して再興して、日琢の隠居寺とした。

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元は大乗坊という真言宗の寺で、阿久和のほぼ中央神宮灯篭のあたりにあったのが改宗、現在地に移転されたと伝えられる。

本堂の戸には鍵がかかり、住職は常駐していない様子である。

本堂の左手に七面堂が建っている。

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前回の訪問の時、境内を清掃されている檀家の方がおられ、少しだけお話を伺うことができた。

その時、檀家は全部で10数件で、しかも全て「島崎」という名字であるとお話しされたことが印象的だった。

お寺を後にして、南条SAの道の駅に戻り、昼食をとって帰路に着いた。

走行距離は20kmほど。

2022年10月23日 (日)

法華宗お寺巡りサイクリング 15(旧丹生郡織田町・清水町山内)

2022年10月19日 水曜日 快晴 24℃

素晴らしい秋晴れ日。

今日は福井市から旧丹生郡織田町(現越前町)の方に向かって、県道6号〜3号線(福井大森河野線)を走る。

途中まず、旧丹生郡清水町山内(現福井市山内町)にある法華宗の寺院、本行寺と高成寺の参拝。

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山内町の集落に入ると、まず本行寺の題目塔が目に入る。

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本行寺は寛永13年(1636年)7月創立。開基真含院日應。

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本堂の右手には鐘楼と、何かの祠が見える。

三十番神の祠かなと思いながらも、特に確認せずにお寺を後にする。

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続いて隣りの高成寺へ向かう。

題目塔が迎えてくれる。

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立派な山門。鐘楼も兼ねている。

高成寺の創立は慶長3年(1598年)5月。開基は善光院日俊大徳。Pa190040

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隣には加茂神社。

神社がすぐ横にあるのは、神仏習合の名残である。

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加茂神社の右手奥には、三十番神を祀る祠がある。

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三十番神は神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民を守護するとされた30柱の神々である。

中世以降、特に日蓮宗と法華宗で法華経の守護の神(諸天善神)として重視された。

京都に日蓮宗を布教しようとした日像が布教のために、比叡山の三十番神を取り入れた。

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県道6号線をさらに走って、織田の町に入ると、織田信長像が迎えてくれる。

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織田には本源寺が、上中山には蓮成寺がある。

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まずは劔神社でお参り。

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本源寺は劔神社のそばにある。

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本源寺は、県立図書館にある寺院台帳の記載では、

「劔神社別当金栄山織田村の類にて真言宗なり」

さらに、「檀徒人依頼によって天正10年(1572年)度日蓮宗に転して本源寺と称す」とある。

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やはり三十番神を祀る祠がある。

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続いて、365号線を越前海岸の方へ10分ほど走り、蓮成寺に到着。

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蓮成寺の開基は一雲法印。延喜15年(914年)の創立と歴史は古い。

元は真言宗のお寺である。

寺院台帳によると、

「太永元年(1521年)5月に当山佳持日善なる者本隆寺日真当國弘通の時其教化によってその末寺となり現今に至る」とある。

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本堂の左寺に三十番神のものと思える祠あるが、工事中のため近づけない。

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復路は往路と同じ道を引き返す

本来なら福井まではなだらかな下り坂が続き、楽なはずだが...

風力6mぐらい北西の向かい風が強く、下り坂の恩恵は帳消しに....

走行距離60 kmぐらい、バッテリ消耗は60%であった。

2022年9月28日 (水)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 14(福井市鮎川町・大丹生町)

2022年9月28日 水曜日 雲/晴 18-24℃

今日は越前海岸を走って、妙円寺と大乗寺を参拝します。

妙円寺の所在地は福井市鮎川町、大乗寺は同じく大丹生町。

サイクリングのルートとしては、できるだけ山道を避けるため、越前海岸の北の方から入ることに。よって、福井市内から416号線で北西に向かい、越前海岸沿いの305号線に入って南下する。

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鷹巣海水浴場を過ぎ、鉾島でトイレ休憩。

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鮎川町に入って、地図を頼りに狭い道を辿ってなんとか妙円寺に到着。

前に車で参拝した時は、車はかなり離れたところに駐車し、しばらく細い道を歩いたことを思いだす。

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妙円寺は天正16年(1588年)の創立。開基は真浄院日明。

当区福岡小左衛門家出身の妙円日持尼の発願寺という。

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大正11年に本堂を再建、昭和7年に庫裏を再建した。

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305号線に戻って、さらに南下して大丹生町に到着。

大乗寺の題目塔を見つける。南無妙法蓮華経の文字がかなり風化している。

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大乗寺は、明応4年(1495年)開山本覚院日応。

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日像の法孫の日応が真言宗の寺檀を改宗したと伝えられる。

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昭和47年12月に落雷事故により本堂・庫裏を全焼、49年に再建。

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当寺に隣接して法華勧請の八幡菩薩を祀る八幡神社がある。

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大正年代までは大乗寺の住職が別当として祭祀していたが、その後村社となってからは神道祭祀が行われるようになった。

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しかし今日なお儀式・行事等に於いて多分に法華勧請の心と形が残っている。

境内には妙一位稲荷大明神を祀る妙一堂がある。

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帰路は往路を戻り、4時帰宅。走行距離は60km。

2022年9月27日 (火)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 13(大野市)


2022年9月26日 月曜日 晴 17-31℃

お彼岸を過ぎてから徐々に涼しくなってきた。

ということで、お寺巡りサイクリングを再開することに。

今日は大野市の日蓮宗のお寺へ いざ出発!

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大野市までは、先ず足羽川堤防のサイクリングロードを走って、一乗谷あさくら水の駅へ向かう。

ここでしばらく休憩してから、足羽川沿いに県道31号線、旧国道158号線を走る。

旧158号線は道路はやや狭いが、交通量は遥かに少ない。

縫原町あたりまで来ると、荒島岳が見えてきた。

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大野市街に入る手前に「新丁(しんようろう)トンネル」がある。トンネルの長さは約500メートル。

自転車で走って通れるような歩道はあるのだが.....幅は約1メートル。

側を大型トラックが通り過ぎると強い風圧を受けて、歩道から落ちそうになる、、、怖。

自転車を降りて自転車を引きながら歩くことにした。この方が年寄りには無難だ。

やっとトンネルを通り抜けると、越前大野城が見えてきた。

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結ステーションに到着。大野市にやって来たという感じがした。

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市内にある日蓮宗のお寺は次の三ヶ寺。

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日蓮宗のお寺はすべて寺町通りに集まっている。

これは、織田信長の武将金森長近公が大野へ入封後、京の都に模して碁盤目のまちづくりをはじめ、町の東端に寺院を集めて「寺町」を作ったことに由来する。

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先ず妙典寺から参拝開始。

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妙典寺は、明応年間(1492〜1501年)の1500年に創立。開山は実慶院日応。

どこに開創されたかは不詳であるが、おそらく現在の千葉県市原市と思われる。

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結城秀頼の第6男で大野城主だった松平直良により大野城下へと招かれ現在に至る。

境内の「水かけ地蔵」に水を三杯掛け、合掌し心の円満を祈願すると、微笑んでくれると言われている。

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次は、隣にある圓立寺へ。

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圓立寺は永禄4年(1561年)の創立(1556年創立とも)。開山は長寿院日運。開基は壇越の円立院日真居士。

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もとは土橋の庄に創建されたが、天正3年(1576年)、大野藩主金森長近の時、城下町建設に伴い現在地に移転。

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福井藩主松平秀康の6男である松平直良の菩提寺である。

本堂の戸は閉まっていたが、ガラス戸のガラス越に中を拝観させていただく。

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本堂の隣には鬼子母神、大黒天、七面大明神、清正公(松平直良の守本尊)を祀る祠がある。

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彼岸の法要が済んだところだからでしょう、墓地には卒塔婆が林立している。

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最後に大雄院へ。

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大雄院は、承応元年(1652年)の創立(慶長14年1609年とも)。開基大雄院日前。

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本堂は閉まっていたが、木柾を叩いている音が聞こえる。

ご上人様がお経をあげていらっしゃるようだ。

外から合掌だけして、お寺を後にした。

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お昼ご飯を「ねんりん茶屋のーそん」でおろしそばを食べ、帰路についた。

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往路とほぼ同じ道を引き返し、新丁トンネルはやはり歩いた...

走行距離約70Km。5時帰宅。

2022年6月18日 (土)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 12(南越前町A)

2022年6月18日 土曜日 晴時々曇 20-29℃

南条郡南越前町にある日蓮宗寺院は9ヶ寺。

これらの寺院を訪問するにあたって、便宜上この地域を下の地図のように三区分する。

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今日はこのうちA区の三ヶ寺、妙泰寺、秀香寺(しゅうこうじ)、歓喜寺を訪問する。

さらに、この地区には法華宗のお寺の本高寺もあるので、ここも訪問することにする。

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訪問の順は、南の妙泰寺から始めて北上し、最後に歓喜寺を訪問の予定。

福井市内はいつもの旧街道の北陸道を走り、鯖江まで行き日野川にかかる有定橋の手前で河川敷に降りて、丹南サイクリングロードを走る。

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「しくら橋」の上が越前市と鯖江市の境界になっていることを知った。

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河川敷サイクリングロードから国道365号線に入り、南条の方へ向かう。

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東大道に到着。妙泰寺はこの辺りのはず。

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寺院の近くには、寺院に導くための題目塔が建つ。

このような塔は寺院の入り口の近くでよく建てられているもので、吹雪に見舞われて道路が消えた時などに、遠方からでもすぐにわかるように通行人の安全を図ると共に、信仰心の証しを示すものとして建てられている。

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北陸線の踏切を横切って、総門に到着。

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妙泰寺は「北國身延」とも称される。

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本寺を7回参詣すれば、身延の総本山に詣でたの同じ功徳を得られるそうだ。

私は今回が3回目だから、あと4回参拝しないと...

参道の両脇には塔頭(たっちゅう)の跡が並ぶ。塔頭は全部で9ヶ寺擁していたらしい。

「塔頭」というのは、祖師や門徒高僧の死後にその弟子が師の得を慕い、大寺に寄り添って建てた庵などの小院のことである。

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各塔頭の跡にはそれを示す石碑が立つ。

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山門(仁王門)が見えてきたが、門に行く前に境内の案内板をみよう。

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橘曙覧は幼少の頃この寺で学問を積んだそうだ。

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庫裡

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客殿

では、山門(仁王門)へ。

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妙泰寺は、永仁2年(1294年)日蓮大聖人の法孫である日像菩薩が巡化の途次に、甲州の身延山を彷彿させる当地に一寺を建立して開山・開基。

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本堂前には、日蓮大聖人と日像上人の銅像が建つ。

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本寺は、越前最初の根本道場となり、「妙顕寺四箇聖跡」の一寺に列する。なお「妙顕寺四箇聖跡」の他の三ヶ寺は、妙勧寺(越前市今宿)、妙顕寺(敦賀市元町)、妙興寺(小浜市鹿島)。

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広い境内には、延享3年建立の本堂をはじめ、宝蔵、五重塔、鐘楼堂などが樹齢300年ともいわれる老杉に囲まれている。

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妙泰寺ではもっとゆっくり時間をとりたいとも思ったが、空模様がちょっと心配なので、先を急ぐことに。

次の本高寺へ向かう。

この寺は以前にも一度訪問しているので、場所はわかっている。

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本高寺(法華宗八品派本能寺末)は、弘治2年(1556年)日等本山15世開基。

昭和39年本堂を改修した。

なお、本高寺及びその門前が真言宗から法華宗に改宗したとき祀ったという「天神堂」が東谷にあるが、この寺に関係があると思われている。

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続いて、秀香寺へ向かう。

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秀香寺の縁起は少し変わっている。

明治22年に三つの寺院が合併したのである。

妙泰寺18世住職日慶僧都が合併開基し、現寺号を公称した。

その三寺院とは...天文16年(1547年)に本覚院快丹律師が創立の成就寺、弘治2年(1560年)に華光院日丹律師(妙泰寺5世日為の弟子)が創立の常妙寺、元和元年(1615年)に蓮光院日然律師が創立の蓮光寺の三ヶ寺。

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合併の理由は...少檀微禄により維持困難となったためで、新寺は常妙寺の旧跡に建てられた。

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昭和41年に庫裏を再建、昭和57年に鐘楼堂を再建した。

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境内には三十番神を祀る小規模ながら番神堂がある。

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最後に、歓喜寺へ向かう。

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歓喜寺の歴史は浅い。

昭和初期に当町の沢崎彌三郎恩師(廣導院殿)の絶大なる釈尊の真理、法華経による神通力に、県内外より信徒を雲集して、小川辰治恩師(廣宣院殿)が開山した。

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昭和15年大伽藍が完成。

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昭和20年豪雪被害で一部倒壊し妙見堂を残して焼失。昭和56年再建復興。

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妙見堂

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釈迦堂

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お地蔵様もコロナ感染しないように...

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江守清喜翁の石碑が建つ。日華化学の江守様と関係ありそうです。

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最後に沢崎彌三郎恩師(廣導院殿)のお墓をお参りして帰路についた。

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日差しは弱かったものの、気温はやや高めで湿度が高かったせいか、やはり疲れた。

走行距離65km。自転車のバッテリーは50%、私の体力は90%の消耗。

今日はゆっくり寝よう...