« 2022年4月 | メイン | 2022年6月 »

2022年5月

2022年5月27日 (金)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 10(丸岡町+α)

2022年5月27日 金曜日 雲のち晴 17-27℃

坂井市丸岡町には日蓮宗のお寺が2ケ寺ある。下の地図で下部の二つの地点マーク、左が法栄寺で右が妙光寺。

今回はこの他にも、地図上部の左手の法華寺・日源寺と、右手の真言宗・直乗寺の2ケ寺も訪問する予定。

3

めぐる順序は、日蓮宗の2ケ寺をまず訪問し、その後で日源寺と直乗寺をこの順で巡る。

自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤ。

午前中は大気が不安定で、西の方には雨雲も見えていたが、10時半頃から天気が回復してきた。

サイクリングに出るにはやや遅いが、思い切って、10時50分出発。

九頭竜川は舟橋を渡って、丸岡の方へ向かう。

Dscn3704

舟橋を渡ってすぐ右手に折れ、堤防の道路を東に向かって走る。

以前にはなかった自転車通行帯がいつの間にかきれいにできている。

Dscn3706

丸岡町に入って、妙光寺に到着。

Dscn3707

妙光寺は天正4年(1576年)の創立。開山は日是、開基は慈徳院日然、天台宗より改宗。

ところで、お寺の縁起ではよく「開山」と「開基」という言葉が用いられるが、その違いは....

「開山」とは閑静な地を選び山谷を切り開いて仏法を求めること、あるいは僧侶のこと。

「開基」とは寺院の建立に際して基礎を開いて(資金を提供した)僧侶、あるいは武士や貴族などの有力者などのこと。

Dscn3708

確か、昨年から宿坊もはじめたとのこと。その旨を表す看板も掛かっている。

Dscn3709


法栄寺はすぐそばにある。

Dscn3711

法栄寺は、天正2年(1574年)の創立。縁起に関する詳細は不明。

Dscn3712

昭和23年の北陸地震で本堂・庫裏が倒壊したが、昭和30年11月に本堂を再建、昭和38年には庫裏を再建した。

Dscn3713

Dscn3714

丸岡町は城下町なので町中だけでなく、近辺地区にも寺院がたくさんある。

今日は、日蓮宗の寺院の他に、法華宗の日源寺と真言宗の直乗寺も訪問する。

日源寺はあわら市瓜生(うりゅう)、旧地名では坂井郡金津町の地区にある。

県道147号線を北に向かって5kmほど走ると、右手に見えてきた。

Dscn3716

日源寺は日栄が開山、1291年に開基し善鷹寺(禅応寺)と称したが、1294年に日像上人に従い天台宗から法華宗に改宗し、日源寺と称するようになったと伝えられている。

Dscn3717

Dscn3718

後に、瓜生城を築城し、戦国時代には武曽氏は越前守護大名朝倉氏に仕えたが、朝倉市の滅亡と共に武曽氏も衰退した。日源寺はその武曽氏の菩提寺である。

ところで...

言い伝えでは「1294年に日像上人に従い天台宗から法華宗に改宗し」ということだが...よく考えると、日像上人が改宗をさせたのなら、なぜ日蓮宗ではないのか???.

運よく、お寺の奥様が出てこられて、本堂を開けていただき本堂の中に入れていただいた。

Dscn3720

ついでに、上の疑問の件を奥様にお尋ねすると、やはりご住職(不在であったが)も年代的に合わないので不審に思っているとか。とにかく、お寺には文書の記録が全く残っていないので、言い伝えのまま信じているよう。

お寺の横には、横山神社があるが、神社としてはなんか奇妙な名称。

Dscn3715

ここから、来た道を戻って、直乗寺に向かう。

Dscn3725

直乗院は真言宗の寺院。

建長元年(1250年)頃に道範大徳が一宇を建立して開基。本尊胎蔵界五智如来を祀り、仏眼山直乗院と号した。

Dscn3729

仏眼山という山号の名称の由来が気になりますが、不明。

Dscn3728

丸岡城の鬼門の方向に位置していたため、本多家が丸岡城主の頃祈願所とされ、寺紋に「本多立ち葵」を受けている。

Dscn3730

境内には、新江用水の開拓に貢献した渡辺泉龍の墓碑が建っている。

Dscn3731

Dscn3732

Dscn3733

隣には白山神社が建つ。

Dscn3738

Dscn3736

隣の虚空蔵堂には、2対の狛犬が鎮座してお堂を守っている。

Dscn3735

帰路は、ここから真っ直ぐ南下し、福井大学医学部のあたりから九頭竜川沿いのサイクリングロードを走る。西風の向かい風で、電動自転車のバッテリーはパワー全開。

Dscn3739

走行距離は38.6km。バッテリーの消費は40%。

2022年5月23日 (月)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 9(越前市A)

2022年5月23日 月曜日 快晴 16-23℃

今日の越前市の日蓮宗お寺巡りは、下の地図でA区域。

まず、A区域の左手で離れて建つ2ヶ寺は、左が成福寺でその右が妙行寺。

Photo_2

次に、その右手の市街地には8ケ寺が群集している。その箇所を拡大すると...

2

上から順に、妙国寺、栄久寺(この2寺は隣接している)、経王寺、妙唱寺、蓮尚寺、妙高寺、妙智寺、本行寺。

巡る順序は、まず市街地の8ケ寺を巡り、その後で左手の2ケ寺を回る予定。

天気予報では北北西の風が2〜4m。帰路は向かい風になりそう...

9時発。福井市から鯖江市まではいつもの旧街道の北陸道(歴史の道)を利用。

よく走る街道なのに、今回水落を通って初めて気付いたが、水落は旧宿場町だったようだ。

Dscn3613

Dscn3614_2

鯖江市からは高専の後ろの日野川堤防沿いに走り、家久の方へ向かう。

県道188号線を福武線に沿って走ります。家久、スポーツ公園、北府などの駅を左手に見ながら走り、旧武生市街地に入る。

Dscn3616

ここは『尾花新地』と呼ばれた遊郭が存在していた。現在は越前市桂町という名称。広い路地とそれを二分する用水路が路の真ん中を流れ、水路に沿って松並木が続いている。

寺町通に入ると天満宮が、その向かい側には国分寺がある。

Dscn3617

Dscn3618

寺町通を西の方に向かって進むと、突き当たりには大きな引接寺が見える。

Dscn3621

引接寺は以前にお参りしたこともあり、日蓮宗のお寺ではないので今回はお参りはしない。

引接寺に到達するまでの手前左手に、妙国寺と栄久寺が隣接して建っている。

栄久寺から先にお参りする。

Dscn3623

栄久寺は、大永5年(1525年)越前府中に創立。開山経王院日要は、京都本山妙覚等の学頭として京都での天文法難を前後とし、布教宣戦拡大の為に越前の中心地府中に堂字を建立した。

Dscn3624


日像菩薩御作とされる日蓮大聖人御木造を奉安し、室町・江戸期より大いなる庶民信仰の中心となり、俗称『厄除けの祖師・一木三体の祖師』とも言われる。

Dscn3625


嘉永五年(1853年)武生の大火で類焼。諸堂及び記録等をことごとく失ったが、厄除け祖師像のみ残る。23世日存より復旧事業が進み、24世日慶が明治19年本堂を再建。現在に至る。

次は隣の妙国寺へ。

Dscn3627


妙国寺は、応仁元年(1467年)創立。開基檀越宗林居士・開山日東聖人は、当山に居住すること5年、文明3年に(1471年)に、弟子「清般」に寺を譲り、行化の旅に出、三重県伊賀上野に上行寺を建立。

Dscn3628

第5世宗日恵上人は、慶長の頃、隣接の真言宗一乗坊を改宗せレめ、妙国寺塔頭一乗寺としたが、時の推移とともに荒廃し、寛永年中に一乗寺住持・梅信院日満上人が万部塔を建立、寺を廃して 当山に合併した。

Dscn3631

本堂は開山上人が応仁元年に堂字を建立したが、宝暦12年(1762年)の類焼、嘉永5年(1852年)には武生大火で再度類焼、20世日詠上人が文久2年(1862年)再建に着手し、明治10年に完成。現在に至る。

寺町通りを退いて、総社通りを走る。

Dscn3633

Dscn3634

総社のお参りは、時間があまりないので割愛。

経王寺に到着。

Dscn3636

経王寺は、永仁2年(1294年)、北陸弘通の祖「龍華樹院日像菩薩」を開山して一乗谷に創建され、越前太守朝倉家の庇護を蒙り菩提所として権威を誇る。その後、朝倉家滅亡により、天正3年(1575年)前田利家公府中在城の折、現在地に堂字を建立。

Dscn3637


嘉永法歴の府中大火にて本堂などは焼失したが、慶応4年(1868年)、本堂・表門の書院等を再建、現在に至る。

次は、タンス通りを走って妙唱寺へ向かう。

Dscn3641

Dscn3642

孫に買ってやりたいような木製のおもちゃも売っている。

妙唱寺へは細い路地から入って行く。

Dscn3643

Dscn3644

妙唱寺は寛文6年(1661年)の創立。開山は経王寺6世日鷲。2世妙久の代に妙顕寺より庵号を授与せられ妙唱庵と号す。

昭和30年に妙見堂を建立す。同34年に経栄山妙唱寺と寺号を公称す。

Dscn3646

尼さんのお寺らしく、お庭をきれいに手入れしている。

Dscn3648

次は、蓮尚寺へ。

Dscn3650

蓮尚寺は、応永年間(1394-1427年)の創立。戦国大名朝倉家の庇護のもと足羽郡一乗谷にあった。当時上杉謙信の兄長尾晴景は失脚し、その子昌景は越後をのがれ朝倉家に仕えたが、その3世の孫宗賢は主家没落後府中に至り、本多家に仕え、天正年間(1573-1585年)、正法院日林を開山として、現在の地に蓮尚寺(日蓮宗)を再興した。

Dscn3651

その後宝歴12年(1762年)、嘉永5年(1852年)の再度の大火に類焼し、現在の本堂は明治12年の建立である。

Dscn3652

ここから次の妙高寺へ向かう途中に「卍が辻」がある。

Dscn3656

ここで、途中のコンビニで買ったおむすびを食べて一休みする...

Dscn3654

Dscn3655

妙高寺に来た。

Dscn3657

妙高寺は嘉吉3年(1443年)、久遠成院日親聖人開基の寺。日親聖人は宗門史上、最も迫害を受けた僧で、幕府に立正治国論を建白した人でも知られている。

Dscn3658


上人が佐渡巡拝の時、当地の桑野源左エ門は上人の熱烈なる法を聞き改宗、一子を投じて弟子となし、この寺を創建した。


桑野家は、江戸時代には福井藩の両替業務に携わり、町の総代も務めている。


境内の北側には八木翁の顕徳碑が立っているが、本多家の家臣で明治2年の凶作で貧民の救助にあたり、金や米を貸し与えたが、貧民たちが返済のできない事を知り、證書を火に投じ、自らその責任を取り自刃した。

Dscn3660

次は、妙智寺へ。

Dscn3662

妙智寺は永仁2年(1294年)、日像上人により創建されたといわれる。本尊は久遠実成釈迦牟尼仏である。本堂には、霊山帰子育鬼子母神も祀られており、また水子観世音菩薩も安置されている。

Dscn3663

Dscn3665


枷藍は、承応年間(1652〜55年)の祝融により、宝物・書類など一切が烏有に帰したといわれる。その後本堂などは再建されたが、庚申町より出火した嘉永5年(1852年)3月の府中大火に遭い、再びすべてが焼失したという。

最後の本行寺は妙智寺のすぐ隣にある。

Dscn3667

本行寺は、もとは真言宗。日蓮大聖人の孫弟子日像聖人開基の寺院。日像聖人は永仁2年(1294年) 2月『京都にお題目を広めよ』との日蓮大聖人の遺言を果さんが為、佐渡より北陸路を通り京都上洛の途であった。

Dscn3669



かねてより日像聖人の名声を聞き及んでいた時の住僧(真言宗時代の住職)は、早速法論を行うも遂に敗して聖人に帰伏す。そしてその教えと人格にうたれ、直ちに聖人の弟子となり、名を「府南坊日了律師」と改め、聖人を当山開基と仰ぎ、己は二祖に座す。

Dscn3671

境内には「日像聖人染筆岩題目」がある。

碑にかかれた説明によると...「この岩題目は 旧武生市小野町山中の山肌に刻書されていたものを 小野町ダム水没化に伴い 当地に移転建立するものなり」

Dscn3672

...

市街地の8ケ寺のお参りが済んで、次は西に向かう。

茶臼山の麓にある妙行寺に到着。

Dscn3677

妙行寺は永仁2年(1294年)の創立。もとは真言宗の寺であったが、ときの住僧本要律師が日像菩薩に教化されて改宗。法論の際、腰をかけられたと伝えられる御休息問答石がある。

Dscn3678

Dscn3679

隣には、白山神社。

Dscn3682

最後の成福寺までは、さらに西の方へ大虫町までしばらく走行する。

Dscn3689

成福寺は明応8年(1499年)に真言宗から現在の日蓮宗に改宗した。初代開山の智勝院日成和尚が19歳の時、京都の妙顕寺から派遣された僧と成福寺において三日三晩の問答の結果遂に改宗されたとの記録がある。その後500年間、34世に至る今日まで法燈連綿と維持されている。

Dscn3690

Dscn3692

Dscn3693

境内の中に三十番神堂が立っているので、覗いてみることにする。

Dscn3696

Dscn3701

中を覗いていると、幸いお寺のご上人が来られて扉を開けていただき、説明していただけた。

三十蕃神(さんじゅうばんしん)は、神仏習合の信仰で、毎日交代で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことである。

最澄が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代に盛んに信仰されるようになった。中世以降は特に日蓮宗・法華宗で重視され、法華経守護の神(法華神道)とされた。

蕃神堂の三十蕃神は、南越前町の秀香寺にも小さなお堂があり、中の番神を自由に拝観することができたように記憶している。

帰りはひたすら福井に向かって広域農道(県道28号)を走り、ホームセンターヤマギシのあたりから丹南サイクリングロードに入って帰路につく。

Dscn3702

走行距離は55.7km、バッテリーは50%残。

あ、疲れた。

2022年5月10日 (火)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 8(越前市C)

2022年5月10日 火曜日 晴のち曇 8-21℃

今日は、越前市にある日蓮宗のお寺のうち、下の地図のC区内にある3ヶ寺を訪問する予定。

上から順に、妙弓寺、感應寺、功徳寺。巡る順序は功徳寺から北上していく。自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤを使用。

Photo

最初はいつものように旧街道の北陸道を走り、江端あたりで南東方向に向かい、国道8号線に入る。

右手に音楽堂(ハーモニーホール)が見える。

Dscn3563

8号線から左手に外れて、農道を走って行くと、文殊山が近くに見えてきた。

Dscn3566_2

鯖江市では「きらめきロード中河」という浅水川の堤防沿いのサイクリングロードを走行する。

Dscn3567

この道は4月の桜の時期はきれいだろうな。

Dscn3568

Dscn3569

越前市の五分市町までは、まだ先がある。

ここから40分ほど走り続けて、ようやく五分市町の功徳寺に到着。

Dscn3572

Dscn3573

功徳寺の創建は応永2年(1395年)。元は真言宗のお寺であったが、日像上人の北陸弘教の折に真言宗から日蓮宗に改宗。

もとは旧今立郡北日野村庄田区にあったが、約300年前、五分市小丸城に居を構えていた織田信長の重臣である佐々成政公の陣屋敷があった現在地に移転。

Dscn3574

Dscn3575

Dscn3576

次は、感應寺に向かう。ここから3キロほど北の方へ戻る。

寺院は、旧名称今立郡の粟田部(あわたべ)町にある。

Dscn3579

天文7年(1538年)の創立。開山開基は法性院日誉。もとは真言宗であったが"天文5年の法乱"の時、京都妙顕寺山内の広盛が当地に難を避け、天文7年に改宗した。

Dscn3581

Dscn3582


"天文5年の法乱"というのは、天文法華の乱、天文法難ともいい、京都の日蓮宗を、比叡山をはじめとする諸宗が攻撃を加えた宗教戦争のことである。

Dscn3583

ついでに、感應寺のすぐそばの岡太(おかふと・おかもと)神社にもお参りする。

Dscn3584

Dscn3585

Dscn3586

この地はお蕎麦が美味しいことでも有名。

残念ながら、ちょうどお昼時で、有名な蕎麦店にはお客がいっぱいで、食べるのを諦める。

あと一つ訪問するお寺は妙弓寺。ここからそれほど遠くない。

10分ほど走って到着する。

Dscn3591

妙弓寺は中津山町にある。天正12年(1584年)(または天正5年)の創立。開山は松葉院日羿。

Dscn3592

寺号に「弓」という漢字が使われているのは、武具の弓と何か関係あるのだろうか...。

天正元年に織田・朝倉の兵乱が続くころ東郷村(福井市足羽町)に貞慶院日随が開山の慈雲山妙延寺があり、この寺は一乗谷城主朝倉義景の家臣であった弓術師範役山田文右衛門尉吉高一家の菩提寺であった。

ということで、弓と関係はありそうだ。

Dscn3594

Dscn3596


さらに歴史を調べてみた。

朝倉は織田に敗れ、妙延寺も兵火により焼失、吉高は日随の末孫常安と共に日法作宗祖像を背に片上大野(大野町)に逃れ、南中津山に兵乱の静まるのを待って一宇を建立。

貧しさのために吉高は猟を糧としたが、殺生を懺悔し出家して身延山で修行。

天正12年2月に山寺号を身延17世日新より授与され、名を松義院日羿と改め粟田部新道に寺院を建立。

明治6年に大火により類焼、中津山妙延寺に仮居所を定める。

同20年に栗田部八幡に再建。大正10年8月に36世法導院日妙が現在地に移転、同12年に本堂を新築、旧本堂を庫裡とした。

寺院のすぐそばに神社があり、名称が、「式内国中神社」というこれまたユニークな名称である。

Dscn3597

手水鉢もユニークで、山の自然の水を引いているようだ。

もっときれいに手入れをして欲しいな。

Dscn3603

ここでちょっと一休みしてから帰路につく。

Dscn3601

帰りは向かい風が強く、電動アシストのパワーは全開。

来た道とほぼ同じ道で帰路につき、14:20着。

走行距離は51.2km。バッテリー50%消耗。

さあ、越前市の最後のお寺巡りは旧武生市街だ....。明日行けるかな...

2022年5月 7日 (土)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 7(越前市D)

2022年5月7日 土曜日 晴れのち曇り 14-27℃

今日の越前市の日蓮宗お寺巡りはD区です。下の地図で見るようにこの区域には2ケ寺あり、右が掟光寺、左が妙勧寺。この順で訪問する予定。

福井市内の自宅から掟光寺までは約30kmあり、ちょっとハードなサイクリングになりそうだ。

Photo_3

自宅の福井市からは旧街道の北陸道(北国街道)で鯖江市の方へ向かう。

浅水あたりまでくると左手に文殊山が見えてきた。今日は空気が澄んでいるようで、よく見える。

Dscn3498

西鯖江の駅でトイレ休憩。

駅のそばには前からフオーを食べに行きたいと思っているベトナム料理店がある。そばを通り過ぎたらスープの準備をしているようで、良い匂いが漂ってきたー。

Dscn3502

鯖江市からは日野川の東側を通って越前市に入る。

Dscn3504

今日は暑い!木陰に入って時々給水休憩をとって... 熱中症にならないようにしないと。

県道136号線を走って、ようやく松ケ鼻トンネルまで。目指すお寺はもうすぐ。

Dscn3508

中平吹(なかひらぶき)町に入って、掟光寺に到着。ここまで27.6km。

Dscn3511

Dscn3512

山号はなんかユニークな名称である。

Dscn3513

このお寺の歴史は興味深い...。

掟光寺は元は真言宗のお寺で日野山の中腹にあった。1573年、真言宗の僧雑明(ぞうみょう)の時、中平吹町の三田村七エ右衛門家より出家した千如院日栄上人との法論問答の結果、日蓮宗に改宗することになった。

ちょうどこの頃、1572年まで佐々布光林坊一族が居城している平吹城があったが、一向一揆の軍勢により焼き討ちに遭い焼失した。

そこで光林坊と縁者であった千如院日栄上人がこの地に寺地を移し、雑明山浄光寺と号して千如院日栄上人を開基開山としたのが始まりである。

Dscn3515

Dscn3517

お城の跡地に建てたため、境内には土塁や庭園がのこり当時の面影をしのぶことができる。

1598年の太閤検地の時、役人が長期滞在した折、そのお礼として寺院ゆかりの光林坊掟運、掟俊の「掟」の字と光林坊の「光」の字を取り「掟光寺」と改めた。当時「掟」の字は、一般に使用禁止で御法度であったにも拘らず、検地役人に使用を特別に許された。

「掟光寺」という名称は日本中で唯一この寺だけが有する寺号である。

Dscn3514

過去2度落雷によって焼失し、現在の本堂は約200年前、第26世本地院日透上人の時に再建された。

途中のコンビニで買ったおにぎりを頬張って昼食。火野正平さんたちのランチとは違って質素だ...

お寺には住職も誰も常駐していないようだが、お手洗いは利用できた。

掟光寺の向かいに小さい寂れたお寺がある。

Dscn3522

Dscn3521

お寺の縁側におばあさんが座っていたので、話を聞くことにする。

「このお寺は何ですか」--「これは、アンデラや」アンデラ???

「おばあさんはお寺の人ですか?」-- 「私はここを借りてるだけや」

「昔、このあたりにはお城があったのでしょ?」--「昔のことは知らん」

後で知ったのですが、アンデラというのは「尼寺」のことだった。

次のお寺の妙勧寺へ向かう。掟光寺からすぐ。

Dscn3529

このお寺も歴史を調べると由緒がありそう。

妙勧寺の創建は永仁2年(1294年)。日像上人が上洛の途次、疫病で苦しむ今宿村村民は北紺屋小兵衛の要請を受けた日像上人の祈祷により全快し、全村あげて真言宗より日蓮宗に改宗。

日像の弟子妙文がこの地に堂宇を建立し現在の寺号を公称した。永正3年(1506年)、14世日住の代に守護職朝倉貞景が寺領10石を寄進し、天文14年(1545年)朝倉孝景の頃には殺生禁断の制札を立てるほどに寺運が興盛した。

Dscn3533

Dscn3536

慶長3年(1598年)には豊臣秀吉より境内地900坪を寺領と定められた。確かに、境内はかなり広い。

すぐ左隣には日吉神社が建っている。神仏習合がまだ残っているような雰囲気である。

Dscn3543

Dscn3540

正徳2年(1712年) 29世日閑が中興となって、境内を拡張し本堂を再建、その後30世が客殿庫裏を再建され寺観が整えられた。

日像菩薩四箇聖跡(妙顕寺四箇聖跡)の一つに列し龍華別院と称する。

Dscn3538

Dscn3544


境内も静かで落ち着くお寺である。

帰りは、日野川河川敷サイクリンロードなどを利用して帰路についた。

Dscn3550

Dscn3551

白鬼女橋の近くの橋の上で、二人の撮り鉄の男の子がカメラを構えている...。横の鉄橋の上をそろそろ電車が通過するようだ。私も真似して...パチリ.... ちょっとタイミングは早かった。

江端川水門まで来て、ちょっと一休み。

Dscn3555

Dscn3556

心地よい風が吹く堤防に座って...

Dscn3561

14:50帰宅。走行距離60.7km。バッテリー消耗は60%ぐらい。

2022年5月 4日 (水)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 6 (越前市B)

2022年5月4日 水曜日 快晴 9-26度

今日は、越前市(武生市)の日蓮宗お寺を巡る予定。

越前市にある日蓮宗寺院は20ケ寺で、下の地図で見るようにかなり分散している。訪問計画を立てるにあたって便宜上AからDに4区分。

今日はB区にあるお寺を訪問する予定。この区域には地図の左から右に、聞法寺、妙稲寺、信行寺、泉久寺、一乗寺の5ヶ寺があり、この順で巡る。自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤを使用。

Photo_2

9:00発。今日は暑くなりそう。自宅のある福井市から鯖江市までは旧街道の北陸道を走る。

下の写真は中荒井に立つ石碑。

Dscn3451

鯖江に入って浅水川にかかる鳥羽橋には「北国街道」という名称が...

Dscn3455

北陸道と北国街道は異なるのかな...と考えながら走っていると神明に次の看板がある。なお、鯖江市では”歴史の道”という愛称がついている。

Dscn3457

鯖江市街に入る。

誠照寺(じょうしょうじ)は真宗誠照寺派の本山で、鯖江市はこのお寺の門前町として栄えた町である。

Dscn3458

鯖江市と旧称武生市との境いにある福井工業高等専門学校の前を通過。懐かしい...。

Dscn3459

日野川にかかる白鬼女(しらきじょ)橋。なんとも由緒ありげな名称だ.... 確かに地元にはいろいろな伝説があるようだ。この橋は渡らずに堤防沿いに家久町に向かう。

Dscn3460

やがて家久町にある聞法寺に到着。ここまで21km走行。ちょうど2時間かかった。

Dscn3464

聞法寺の創建は乾元元年(1302年)。最初は真言宗のお寺だったが、日像菩薩の強化によって改宗。開山は日像菩薩。

Dscn3462

Dscn3463

Dscn3461


ここから東の方へ、日野川を渡り、約20分ほど走って、妙稲寺に到着。

Dscn3465

妙稲寺の創立は延徳年間(1488〜92年)。現本堂は昭和6年に再建されたもの。

Dscn3466

Dscn3467

Dscn3469

Dscn3471

次は国道8号線を横切って信行寺へ。5分ほどで到着。

Dscn3474

本堂の前には田んぼが広がり、ユニークな敷地に建つ。

Dscn3479_2

Dscn3481

信行寺は、正保元年(1644年)に武家や農民等に法華経を説く道場として福井に建立されたが、廃藩置県により福井藩士が各地に離散したため、明治2年にこの高木町に移築され、創立以来連綿と法灯が継承されているとのこと。

次の泉久寺は信行寺のすぐそば。

Dscn3482

泉久寺は、延久2年(1070年)の開山。初めは真言宗の寺院であったが、南北朝時代、妙文僧都の弟子となった瓜生保の弟源琳(常精院日進上人)が『日野川の戦い』で焼失した泉久寺を日蓮宗に改宗し復興させたとのこと。

Dscn3484

Dscn3483_3



いよいよ今日の最後の訪問寺一乗寺は、ここから南方の塚町に向かう。

日野山が見える田んぼの中を走る。

Dscn3485

泉久寺から10分ほどで一乗寺に到着。

Dscn3486

一乗寺に関しては、創建などに関する記録は残っていないようだ。

Dscn3487

幸い本堂の戸は開いているので、拝観させていただこう。

Dscn3491

帰路はナビで裏道優先にして田んぼの中の農道をあちこち、高速道路の脇などを走る。追い風だったので楽に走れた。

音楽堂近くのローソンではアイスを買って休憩。

14:09無事帰宅。走行距離49.1km。バッテリーはまだ60%残。

2022年5月 2日 (月)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 5(丹生郡)

2022年5月2日 月曜日 晴時々曇 8-17度

10:20発。今日は丹生郡にある日蓮宗のお寺を巡る。

丹生郡にある日蓮宗寺院は、下の地図で下から上へ法華寺、実相寺、蓮蔵寺の3ケ寺。この順で回ル予定。

自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤ。今日は坂道が多いから力量を発揮してくれるはず。

Nyugun

日野川は久喜津橋を渡って清水町の方へ向かう。

Dscn3401

山沿いの道を走って、天王に到着。実相寺がこの地にあるのだが、法華寺に先に向かう。

Dscn3405_2

天王には八坂神社がある。由緒ありそうな神社。簡単に参拝して先を急ぐ。

Dscn3408_2


Dscn3409

県道187号線はやや登り坂、しかも向かい風。電動アシストのパワーを全開にしてようやく蝉口に到着。法華寺はこの地にある。

Dscn3416

法華寺は以前に一度参拝したことがあるので、場所はすぐにわかった。12:20到着。

Dscn3417

Dscn3420

Dscn3421

法華寺は嘉吉3年(1443年)の創立。元は真言宗のお寺で、開基檀越明智氏が日蓮宗に改宗。

数度焼失して由緒記録等を失ったとのこと。

Dscn3423

お寺の参道石段のそばには越前町指定天然記念物の枝垂れ桜が...、桜の開花時期でないのが残念。

Dscn3419

Dscn3425

お昼用にコンビニで買ったおにぎりを一ついただいて、すぐに出発。

来た道を戻って実相寺に向かいます。道路は緩やかな下り坂なので楽だった。

30分ほどで実相寺に到着。12:50。

Dscn3426

Dscn3429

Dscn3427

Dscn3434

Dscn3432

次は蓮蔵寺に向かう。184号線の山の中を川沿いに走る。

Dscn3437

25分ほどで蓮蔵寺に到着。

Dscn3438

長い石段の参道を登って本堂へ。

Dscn3441

蓮蔵寺は正徳3年(1713年)の創立。寺院の初めには澤田山多聞院と称し、その由来はかつて山城国伏見仙石澤田山に廃寺となっていた多聞院を移転したとのこと。

蓮蔵寺と称することにしたのは、慶応から明治初年の頃。

幸い本堂の戸が開いていた。

Dscn3445

Dscn3442_2

県道3号線で帰路につく。

14:40帰宅。走行距離は50キロぐらいかな。バッテリー消耗率50%。