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2022年11月

2022年11月22日 (火)

曹洞宗お寺巡りサイクリング 22(東郷地区の寺院など)

2022年11月21日 月曜日 晴 10-18℃

11月に入って、ここ数日前までは気温が低い日が続き、サイクリングに出かける気にはなれなかったが、本日は久しぶりに北風も弱く(南東の風)穏やかな日である。

福井の市街地から南東へ10kmほど、足羽川左岸に位置する東郷地区までサイクリングに出かける。この地には曹洞宗の寺院が三ヶ寺存在する。

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福井市からは足羽川左岸河原のサイクリングロード(一部一般道路)を南東に向かって稲津橋まで走り、ここで右手に外れて県道25号に入るが、すぐに左手の田んぼ道(農道)を走る。

東郷中島町、下毘沙門町の集落を経て、東郷ニケ町・安原町へと入って行く。

まずはJR越美北線の越前東郷駅に到着。無人駅だ。公衆トイレを利用させていただく。

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越前東郷駅から南に100mほど進むと、堂田川と名付けられた水量豊かな流れがあり、その両岸に家並が連なる独特の町並景観が展開している。

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中世には朝倉氏が本拠とする土地であったが、同氏の滅亡後16世紀後半に東郷に入部した長谷川氏がここに城下町を整備したとされる。

東郷城の城下町として町も発達したが、長谷川氏の後に入城した丹羽氏が関ヶ原の役に際し西軍に属したため廃城となったが、以後も城下町としての基盤があったために在郷町として存続することとなった。

大野街道と東郷街道という二つの街道が交差することもあり、宿場町としても栄えたという。

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この町並を特徴付ける水路は足羽川から引かれた疏水である。農業用水というが中世より町場の中を貫いていたといい、生活用水としても使われていたという。道路(県道180号)も左右岸での一方通行となっているのも珍しい。

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一度は汚染されたというこの流れも近年になり整備されたお蔭で、清らかな親水空間として貴重なものとなっている。

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伝統的な建物はそれほど多くないものの、所々商家を思わせる建物や土蔵が見られ、城下町以来の歴史に根ざした町であることを感じさせる。

造り酒屋も現役で残り、在郷町としての賑わいを今に伝えている。上の写真は毛利酒造。他に2軒の蔵元がある。

東郷地区の見所は歴史的な街並みだが、寺院を訪問するのを忘れてはならない。

駅から南方へ行くと堂田川に行くまでの左手に照恩寺がある。今回は曹洞宗寺院巡りが目的であるが、ちょっとユニークな照恩寺もお参りする。

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照恩寺は浄土真宗の寺院。

吉崎から蓮如聖人が去られた際に、朝倉敏景の命を受けて吉崎御坊を移転する形で一乗谷に建立されたのが始まり。

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朝倉氏滅亡の後東郷へ移転したが、後に北ノ荘に越前中心が移ってからは御坊としての役割は現在の福井別院に移行されている。

現在は、テクノ法要や寺カフェなど、伝統を伝えるための新たな発信をしている。

これからは曹洞宗の寺院巡りへ。まず地蔵院へ。

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延喜12年(912年)頃に、醍醐天皇が家臣の藤原利仁に勅命で、京都梅宮神社の神護一体を東郷槇山山頂へ鎮座させた庵を、988年の一条天皇訓令で中腹へ移したのが開基とされている。

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本堂内をお参りすることはできなかったが、本尊の観音様は子安観音として信仰され、2月、7月の縁日には子授け祈願やお礼のお参りに来られる人がいるとのこと。

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境内には稲荷神社が祀られる。

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さらに、河濯(かわそ)堂。このお堂には、河濯・戸隠・秋葉権現が祀られている。

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続いて、霊泉寺へ。

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霊泉寺の開山は、明応7年(1498年)、越渓の弟子の雷沢宗俊(らいたくそうさ)で、大和尚が篠尾に開いた武芸道場がその起源と伝わる。

長谷川秀一が霊泉寺第4代の全積和尚に帰依したことにより、現在地へと移された。

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境内には長谷川秀一の墓が祀られる。

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最後に永昌寺へ。

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永昌寺は、一乗谷初代、朝倉孝景の創建と伝えらる。

東松山永昌寺という寺の名称は、孝景戒名(東松院秋葉宗滴居士)とその妻戒名(桂室永昌大姉)の法号に由来するとされている。

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朝倉氏滅亡後、東郷城主長谷川秀一の菩提寺となった。

地区の人は下寺(しもでら)と言う。

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目的の寺院巡りを終え、どこかでお昼ごはんを食べようとも思ったが、猫の子一匹見つけられないほど静かな街で、コンビニさえもない。仕方ないので福井まで戻ることにする。

走行距離20km。

2022年11月 6日 (日)

法華宗お寺巡りサイクリング 21 (鯖江市東部)

2022年11月6日 日曜日 快晴 6-18℃

嬉しいことに、ここ数日良い天気が続いている。今日は鯖江市内の東部にある法華宗のお寺を3ケ寺訪問することにする。

訪問するお寺は下の地図で、妙好庵、妙正寺、法華寺で、この順で訪問する予定。

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福井市から鯖江市までは旧北陸道(北国街道)(鯖江市内では「歴史の道」という愛称が付いている)を南下し、鳥羽で浅水川の堤防沿いに東方へ走り、高速道路の向こう側に渡ったりまたこちら側に戻ったりして道に迷ったが、何とか下河端の集落に入り、妙好庵に到着した。

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妙好庵は法華宗真門流の寺院で、尼寺だと思われる。

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妙好庵から外れてすぐのところで、題目塔が2塔建っていることに気づき、立ち止まって確認する。

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かなり風化しているが、上の塔では「天下泰平五穀豊穣」、下では「奉唱満玄佛(?)三千百五十部」の文字が読める。何の記念碑だろうか?

次は、また歴史の道に戻って、南下して舟津町の妙正寺へ向かう。

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妙正寺は、法華宗本門流の寺院である。

法華宗の宗派には、本門法華宗と法華宗本門流とがありややこしい。

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三十番神を祀っているようだが、中は見れない。

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開基は法華宗本門流の派祖である日隆上人である。Pb060164

下の碑は日像菩薩作とあるから、かなり古いものと思われる。
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続いて、歴史の道を逆行北上して水落の法華寺へ向かう。

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法華寺は法華宗真門流の寺院。創立は長禄3年(1459年)。

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開山・開基は實然法印上人(本山平等会寺3世)である。

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帰路は、同じく歴史の道で福井に向かい、往路と同じく北国街道で帰宅する。

走行距離は42km。

2022年11月 4日 (金)

法華宗お寺巡りサイクリング 20 (鯖江市西部)

2022年11月3日 木曜日 晴 10-22℃

昨日に続いて穏やかな晴天日。こんな日にジッとしていられない。今日は鯖江市内にある法華宗の寺院巡りに出かけることに。

鯖江市内にある法華宗の寺院は、次の地図で見るように全部で七ヶ寺。なお平等会寺には境内に2つの塔頭(たっちゅう)寺院もある。

このうち、今日の訪問予定は、鯖江市の西部にある題目堂(隆宝教会)、平等会寺、本蔵寺、盛隆寺の4ヶ寺をこの順で巡る。

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福井市から鯖江市へは県道182号線、252号線で南方へ走る。

鯖江市に入って、浅水川にかかる弁天橋を渡って、商店街の路地を東方へ走ると、左手に題目堂の石塔が見えてきた。

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たまたま何かの法要があるようで、数人の参拝者があり、読経の最中であった。

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題目堂は、「隆宝教会」という法華宗本門流の寺院として登録されているようだ。

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続いて西方に向かって日野川の左岸に行き、堤防道路を南下して平等会寺へ向かう。吉川橋で右折して平井の集落に入り、平等会寺に到着。

法華宗真門流平等会寺は、最初は弘仁年間(810-820年)に建てられた天台密教の大寺であったと伝えられている。

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その後約500年を経て、日蓮聖人の法孫日像菩薩が北陸弘通の時、妙法の結縁にあい、天寿2年(1376年)日妙阿闍梨(アジャリ)の時改宗して、寺号を妙法山平等会寺と改めた。

山門は全体が禅様式でまとめられ、一間一戸の四脚門、笏谷石を四半敷とし、全て円柱で整えられている。Dscn4170

本堂を中心とした伽藍はよく整っている。文政2年(1829年)の火災後、安政2年(1855年)までに再建されたとされる。

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本堂の右手には三十番神堂が建つ。文政12年5月、当山末寺織田町上戸成道寺よりの奉納により移転再建されたものである。

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左手には祖師堂が建つ。文政12年3月21日、平井大火にて類焼し、4月下河端講中協議の結果、万場一致にて御講堂を移築し現在の祖師堂とした。

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堂内には、中央に日蓮聖人の木像を安置し、向かって右には本山開祖日真和尚の木像、左には当山開基日妙阿闍梨木像が安置されている。残念ながら堂内を見ることはできなかった。

次は一切経堂。「一切経」とは、仏教聖典の総称、大蔵経ともいう。お釈迦様の全ての教えである。

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明治39年下河端八田次郎兵衛、八田善左衛門、八田平七氏三名にて、当山38世日命上人代に、金沢妙国寺蔵より移し寄進されたた。平成14年三氏にて再改築。

現在北陸において一切経堂があるのは当山と数ケ寺だけ。

本山開祖日真大和尚(左)、開基日妙阿闍梨(右)の記念石碑。

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当山歴代霊廟。

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鐘楼は、木割(各部材の寸法の比率)が大きく、保存状態の良好で、寺院の伽藍景観に大きな役割を果たしている。Dscn4177

境内には、塔頭寺院の常在院と真行院が建つ。

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最後に日蓮大聖人像を拝んでお寺を後にする。

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次は二丁掛町にある本蔵寺に向かう。

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本蔵寺の創立は天正5年(1577年)8月28日。開山は栄得院日等。

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元禄七年(1694年)と記されているが、何の記念石塔だろうか?「壇那中」の意味がわからない。

最後に、盛隆寺へ。

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盛隆寺の創立は、寛永14年(1638年)、開山は圓蔵院日教上人。

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石碑には「享保九年四月二十六日 當寺中興」と記されている。享保9年は1724年。中興ということは、火災か何かの後に新しく立て直したことかな?

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別の題目塔には、「開基日真大和尚」とある。

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帰路は日野川沿いの丹南サイクリングロードを利用して福井市に向かう。

いつもは日野川左岸沿いの堤防を走り、清水山橋を渡ってから右岸を走るのだが、今回は初めて朝宮橋まで走り、ここで右折して福井市街地に入り帰宅。

走行距離は44kmだった。

2022年11月 2日 (水)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 19(今庄:妙文寺)

2022年11月2日 水曜日 晴  今庄:9-19℃

天候は穏やかな快晴。気温はやや低めだが、冷たい北風が吹くことはなさそう。

今日は南越前町(旧今庄町)広野にある妙文寺を参拝する。

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福井から妙文寺までは約50kmあり、自転車で往復するには無理がある。

今回もミニベロのダホン・ルートを車に積んで今庄駅近くのサイクリング・ターミナルまで行き、そこからサイクリングを開始することにする。

サイクリング・ターミナルから妙文寺までの距離は約10km。

お寺までなだらかな登り坂がずっと続くはずで、獲得標高は約140メートル。

国道476号線から県道231号線に入ると、交通量はぐっと少なくなり、のどかな田舎の風景を見ながら走るのは楽しい。

宇津尾までは日野川右岸の農道を走る。紅葉も始まりかけている。

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宇津尾で日野川の橋を渡って、左岸の県道231号を走り、広野の集落に入る手前まで来ると、お題目を刻んだ岩が見えた。妙文の題目岩と思われる。

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前方には広野の集落が見える。

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700メートルほど走ると、右手にお寺の大きな屋根が見え、それに向かって走ると、石塔と立派な鐘楼が見えた。

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妙文寺の開山は、正平元年(1346年)日像の弟子の妙文で、この名称の寺院は全国で当寺だけである。

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妙文は妙泰寺2世として在住したが、後に当山を建立して閉居し、当地において遷化(没)された。

元は妙顕寺の末寺であったが、元禄11年(1698年)に義に背いたことにより寺を破却され、それより30年来は小庵となった。

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幸い本堂の戸は開き、本堂の中に入って参拝する。

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堂内では三十番神を祀っている。

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享保13年(1728年)、妙覚寺の日宥がこの旧跡を拝領され本徳寺と改称したが、のち妙文寺と復称した。それにより妙覚寺末となり日宥は中興の祖と仰がれる。

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七面堂と思われる。

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妙文御廟所と思われる。

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集落の道路を挟んで反対側に春日神社が建つが、妙文寺と関係があったかどうかは不明。

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復路は往路とは逆に、宇津尾まで日野川右岸の農道を走り、宇津尾からは県道を走り、他の神社や寺院も簡単にお参りしがなら帰路についた。

走行距離は20km。

2022年11月 1日 (火)

法華宗お寺巡りサイクリング 18 (善隆寺、妙正寺)

2022年10月30日 日曜日 晴 7-19℃

天気は良いが、気温はやや低めで、冷たい北風が吹く。サイクリングの服装はやや厚着にする。

今日は、法華宗のお寺巡りとして、越前町(旧丹生郡朝日町)栃川にある善隆寺と、福井市南居町にある妙正寺を訪問する。

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福井市から福井四ケ浦線(県道6号)で西方に走り、上天下町あたりで志津川にかかる小羽橋を渡って左折、県道253号線(清水麻生津線)を南下して越前町へ向かう。

島寺町、御油町、真栗町、甑谷町、在田町の集落を順次過ぎ、天宝で右折する。

ナビは山道を登る道に導くが、後で知ったのだが、参拝の順当な道は山道にのぼる手前で右折して、栃川の集落に入って行くのがよい。

次の写真は善隆寺の題目塔であるが、参拝後の戻り道で見つけた。

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題目の文字は風化して全く読めない。かろうじて、善隆寺の寺号が読める。

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山道を登らずに栃川の集落に入って行くと、お寺の参道階段と山門(鐘楼門)が見えてくる。

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次は本堂の側から見た鐘楼門。

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お寺の縁起等に関しては、文政5年(1822年)の火災の節に書類等が消失・不残のため不詳である。

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山の上に、お寺のすぐそばに熊野神社が建つ。神仏習合の時代に関係があったのかどうかは不明。

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次は、福井市南居町の妙正寺へ向かう。

県道32号線(清水美山線)で東方へ向かい、清水山橋を渡って日野川の反対側に行き、県道182号線に入って北上すると、妙正寺の題目塔が見えてきた。

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県道から右手に外れて南居の集落に入って行くと、左手に題目塔が見えてくる。

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山門の手前の右手には墓地がある。

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山門をくぐって本堂へ。

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妙正寺の縁起に関しては、明和6年(1769年)の火災で旧記を消失し不詳。

ただ、境内にある墓碑から、開基は承応2年(1653年)常照院日惠聖人であることが分かった。

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境内には、欅と思われる切り株が残っている。その大きさからお寺の古い歴史を感じる。

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お寺の西側、県道182号線に面して大己貴(おおなむち)神社が建つ。

神仏習合の時代にはお寺と関係があったと思われる。

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神社を離れ、県道を北上して帰路についた。

走行距離は38km。