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2024年3月 9日 (土)

富山市内日蓮宗寺院巡り

2024年3月7日 木曜日 晴・曇 2-7℃ 北北東5m

この時期に発売された「北陸おでかけtabiwaパス」という北陸エリア一日乗り放題のフリー切符(980円)を利用して富山市へ向かった。

福井駅9:21発のJR電車で金沢へ行き、金沢駅から「あいの風とやま鉄道」に乗り換えて、12:04富山駅に到着。

富山駅前から市内電車を利用して、広貫堂前まで行く。運賃は210円で、ICOCAが利用できる。

市内にある日蓮宗のお寺は地図で見るように梅沢地区に10ヶ寺が群集している。

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江戸時代には富山城下南面の防備のため、約60の寺院を集めて寺町を形成したが、その後明治3年の廃仏毀釈に先駆けて富山藩は合寺令(ごうじれい)を公布して、藩内205の寺院を七宗七寺に統合した。

これにより、寺院は打ち壊され荒れ果ててしまったが、翌年の廃藩置県の後に寺院復興運動が盛んになり、少しずつ寺院が集まり出した。

しかし、大二次世界大戦の空襲で再び壊滅、戦後になって復興はしたものの、往時の面影はなくなってしまった。

現在は鉄筋コンクリート製の寺院が多く建ち、当時の風情は感じられないという。

寺院が群集する梅沢地区の南西端にある乗光寺から参拝を開始し、反時計回りに巡って行くことにする。

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乗光寺

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乗光寺の開山は正覚院日條上人で、福井県越前の上木氏の出である。加賀藩三代前田利常公の実母福寿院の甥にあたる。

創立は慶安2年(1649年)。利常公の母である福寿院は熱心な法華信者であり、この援助により羽咋市にあった他宗派の常光寺を改宗・改称し、現在の地に移し、富山藩十万石分封に伴う藩士の菩提寺として建立された。

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立像寺

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立像寺は永禄元年(1558年)3月18日の創立。開山は蓮蔵院日治。

加賀藩主前田利家の帰依により永禄年中に加賀越中両国に三立像寺が建立され、その一寺である。

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大法寺

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大法寺は慶長十一年(1606年)4月8日、照盛院日行上人が開基とされる。

富山藩第二代藩主、前田正甫(まさとし)公が当山第8世一龍院日徳上人の教化を受けて篤く法華経を信じ、日蓮宗に帰依して本寺を前田家の菩提寺と定めた。

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大法寺の一画に菅神祠(カンジンシ)が立つ。

富山藩前田家の祖神である菅原道真公(天神様)を祀るために富山藩の細工人に作らせ、その中に天神様を安置して富山城内に置き、朝夕お参りしていた。

昭和34年に大法寺に寄進された。

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妙傳寺

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妙傳寺の開山は、応仁元年(1467年)。

応仁の乱により京都に見切りをつけた京都本圀寺の僧、大覚院日教上人が布教のため越中に赴き、陀羅尼寺村(現富山市上栄)の真言宗の一寺の住職を教化して法華経に入信させ改宗させたのが本寺の興りである。

現在の本堂は平成16年に改修された。

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法華寺

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法華寺は、寛文4年(1664年)の創立、開基は華成院日俊。

最初は長演山法華寺と称したが、寛文4年に日妙山に改称した。

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長清寺

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長清寺は寛永元年(1624年)の創立。開山は実教院日解上人。

富山に加賀藩の支藩が設置されると、北陸一円で強盛を誇っていた龍谷妙成寺より日解上人が布教のため守護神である八幡宮を護持して派遣され、根拠地を神通川のほとりに置いた。

山号を地名神通川に即して神通山と称して多くの帰依者を得た。江戸後期に現地に移転。

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利生寺

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利生寺は、宝永2年(1705年)の創立。開山は驚夢院日帰大徳。開基檀越は富山藩主二代目の前田俊甫。

開山以来、利生院と呼ばれていたが、終戦後、現在の利生寺と改称された。

富山藩より寺領と丁字梅鉢の定紋を拝領し、前田家歴代の祈願所とされた。

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妙国寺

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妙国寺は、寛永8年(1631年)の創立(文禄4年4月8日とも)。開山は信命院日全。

寛永元年の頃より日全は錫を進め、金沢、高岡、富山に妙國寺を創立した。神通川で水行の苦行を行い、命終の時には当国主に生まれ変わり妙法を宣布せんと誓い、37日の満願の日に水中に没したという。

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本證寺

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本證寺は、永正年間(1504年)正持院日勝上人の開山。

元は真言宗の寺院であったが、京都本圀寺14代日助上人が北陸順錫の折、問答を挑んだが、逆に説破され改宗した。

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本顕寺

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本顕寺は文明18年3月10日の創立。開山は一如院日卯。

現在、本堂のような堂宇は見当たらない。

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無事、10ケ寺の参拝を終え、同じく市内電車で富山駅に向かい、遅めの昼食(ホタルイカの天丼)をいただいて帰路についた。

2024年1月11日 (木)

日蓮宗寺院を交通機関で巡る(敦賀市街地)

2024年1月11日 木曜日 晴 -1〜10℃

福井県内には日蓮宗寺院が80ヶ寺あり、全寺院巡り(当時は81ケ寺)の一巡目は自家用自動車を利用し、二巡目は自転車を利用して嶺北地方の60ヶ寺を巡った(本ブログにて紹介)。

今回、三巡目を開始するにあたって、できるだけ交通機関を利用して巡ることにした。

福井県の電車やバスなどの公共交通機関は、自家用車の普及に伴い徐々に規模が縮小されたり、廃線を余儀なくされている。

出発は自宅がある福井市の福井駅。果たして、どの程度可能であろうか?

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さて本日は、JR北陸線を利用して、敦賀市街地にある日蓮宗と法華宗の寺院を巡る。

福井駅発 10:11 の電車に乗り、11:03 に敦賀駅に着く。

敦賀の市街地には日蓮宗寺院が2ケ寺、法華宗の寺院が3ケ寺あり、この5ヶ寺を巡る予定。

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敦賀駅から寺院のある地区まで徒歩で行けないこともないが、たまたま駅前に気比神宮へ行く乗合バスがあり利用する。

11:20 敦賀駅前(発) ⇨ 🚌 ⇨ 11:25 気比神宮(着)。

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(気比神宮)

気比神宮の前でバスを降り、妙顕寺へ向かう。徒歩10分で到着。

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妙顕寺の創建は、天長2年(825年)、藤原武智麻呂が氣比神宮の別当寺として気比神宮寺として建立。当時は「春鷲山氣比神宮寺」を号していた。

その後、1294年に日蓮聖人の孫弟子である日像上人が京都に上がる途中で、当寺にて時の住持の覚円と法論を交わして、その知識に感服し妙顕寺として改宗した。

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歴史上では、戦国時代、織田信長の朝倉氏金ケ城攻めの際に本寺で本陣を張ったことでも知られる。

なお、現在の寺観は平成26年の「妙顕寺寺観整備事業」により完成した。

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続いて、法華宗の圓隆寺と本妙寺へ。

円隆寺は、1615年圓隆院日證によって開山された。立派な山門は残るが、本堂らしき堂宇は建っていない。

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続いて、本妙寺へ。

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本妙寺は、元は京都妙蓮寺末の東国触頭だった。永和2年(1376年)に日敬が創建。妙蓮寺日忠(1438-1503)が妙蓮寺末にした。

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水戸天狗党が降伏直後に収容された3ヶ寺のうちの1ケ寺で、武田耕雲斎の次男の魁介ら346名が収容されていたという。

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続いて、本勝寺へ向かうが、途中に「南無妙法蓮華経」の題目塔が立つお寺がある。はて???

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「長遠寺」という寺号。下調べでは日蓮宗でも法華宗の寺院でもないはず。

たまたまご住職が外におられ、宗派をお尋ねすると、どの宗派にも属さない単立寺院だという。それ以上お話を伺うことはせず、お参りだけさせていただいた。

後で調べて知ったのだが、長遠寺でも天狗党の90名が収容されていた。


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本勝寺は、弘仁元年(810年)創建の真言宗の寺院だったが、応永33年(1426年)日隆が法華宗に改宗した。

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本勝寺にも水戸天狗党が収容された。境内にはその慰霊薹が立つ。

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最後に大乗寺へ。

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大乗寺の開山は円乗院日善。縁起等に関しては情報がなく不詳。

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こじんまりとしたお寺である。

小一時間で目的の5ヶ寺巡りを無事終え、丸仁という蕎麦屋で昼食を食べて13:37発のJR電車に乗り、14:30に福井へ戻った。

天気も良く寒くなく、快適な寺院巡りであった。

2022年11月22日 (火)

曹洞宗お寺巡りサイクリング 22(東郷地区の寺院など)

2022年11月21日 月曜日 晴 10-18℃

11月に入って、ここ数日前までは気温が低い日が続き、サイクリングに出かける気にはなれなかったが、本日は久しぶりに北風も弱く(南東の風)穏やかな日である。

福井の市街地から南東へ10kmほど、足羽川左岸に位置する東郷地区までサイクリングに出かける。この地には曹洞宗の寺院が三ヶ寺存在する。

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福井市からは足羽川左岸河原のサイクリングロード(一部一般道路)を南東に向かって稲津橋まで走り、ここで右手に外れて県道25号に入るが、すぐに左手の田んぼ道(農道)を走る。

東郷中島町、下毘沙門町の集落を経て、東郷ニケ町・安原町へと入って行く。

まずはJR越美北線の越前東郷駅に到着。無人駅だ。公衆トイレを利用させていただく。

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越前東郷駅から南に100mほど進むと、堂田川と名付けられた水量豊かな流れがあり、その両岸に家並が連なる独特の町並景観が展開している。

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中世には朝倉氏が本拠とする土地であったが、同氏の滅亡後16世紀後半に東郷に入部した長谷川氏がここに城下町を整備したとされる。

東郷城の城下町として町も発達したが、長谷川氏の後に入城した丹羽氏が関ヶ原の役に際し西軍に属したため廃城となったが、以後も城下町としての基盤があったために在郷町として存続することとなった。

大野街道と東郷街道という二つの街道が交差することもあり、宿場町としても栄えたという。

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この町並を特徴付ける水路は足羽川から引かれた疏水である。農業用水というが中世より町場の中を貫いていたといい、生活用水としても使われていたという。道路(県道180号)も左右岸での一方通行となっているのも珍しい。

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一度は汚染されたというこの流れも近年になり整備されたお蔭で、清らかな親水空間として貴重なものとなっている。

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伝統的な建物はそれほど多くないものの、所々商家を思わせる建物や土蔵が見られ、城下町以来の歴史に根ざした町であることを感じさせる。

造り酒屋も現役で残り、在郷町としての賑わいを今に伝えている。上の写真は毛利酒造。他に2軒の蔵元がある。

東郷地区の見所は歴史的な街並みだが、寺院を訪問するのを忘れてはならない。

駅から南方へ行くと堂田川に行くまでの左手に照恩寺がある。今回は曹洞宗寺院巡りが目的であるが、ちょっとユニークな照恩寺もお参りする。

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照恩寺は浄土真宗の寺院。

吉崎から蓮如聖人が去られた際に、朝倉敏景の命を受けて吉崎御坊を移転する形で一乗谷に建立されたのが始まり。

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朝倉氏滅亡の後東郷へ移転したが、後に北ノ荘に越前中心が移ってからは御坊としての役割は現在の福井別院に移行されている。

現在は、テクノ法要や寺カフェなど、伝統を伝えるための新たな発信をしている。

これからは曹洞宗の寺院巡りへ。まず地蔵院へ。

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延喜12年(912年)頃に、醍醐天皇が家臣の藤原利仁に勅命で、京都梅宮神社の神護一体を東郷槇山山頂へ鎮座させた庵を、988年の一条天皇訓令で中腹へ移したのが開基とされている。

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本堂内をお参りすることはできなかったが、本尊の観音様は子安観音として信仰され、2月、7月の縁日には子授け祈願やお礼のお参りに来られる人がいるとのこと。

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境内には稲荷神社が祀られる。

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さらに、河濯(かわそ)堂。このお堂には、河濯・戸隠・秋葉権現が祀られている。

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続いて、霊泉寺へ。

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霊泉寺の開山は、明応7年(1498年)、越渓の弟子の雷沢宗俊(らいたくそうさ)で、大和尚が篠尾に開いた武芸道場がその起源と伝わる。

長谷川秀一が霊泉寺第4代の全積和尚に帰依したことにより、現在地へと移された。

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境内には長谷川秀一の墓が祀られる。

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最後に永昌寺へ。

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永昌寺は、一乗谷初代、朝倉孝景の創建と伝えらる。

東松山永昌寺という寺の名称は、孝景戒名(東松院秋葉宗滴居士)とその妻戒名(桂室永昌大姉)の法号に由来するとされている。

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朝倉氏滅亡後、東郷城主長谷川秀一の菩提寺となった。

地区の人は下寺(しもでら)と言う。

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目的の寺院巡りを終え、どこかでお昼ごはんを食べようとも思ったが、猫の子一匹見つけられないほど静かな街で、コンビニさえもない。仕方ないので福井まで戻ることにする。

走行距離20km。

2022年11月 6日 (日)

法華宗お寺巡りサイクリング 21 (鯖江市東部)

2022年11月6日 日曜日 快晴 6-18℃

嬉しいことに、ここ数日良い天気が続いている。今日は鯖江市内の東部にある法華宗のお寺を3ケ寺訪問することにする。

訪問するお寺は下の地図で、妙好庵、妙正寺、法華寺で、この順で訪問する予定。

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福井市から鯖江市までは旧北陸道(北国街道)(鯖江市内では「歴史の道」という愛称が付いている)を南下し、鳥羽で浅水川の堤防沿いに東方へ走り、高速道路の向こう側に渡ったりまたこちら側に戻ったりして道に迷ったが、何とか下河端の集落に入り、妙好庵に到着した。

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妙好庵は法華宗真門流の寺院で、尼寺だと思われる。

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妙好庵から外れてすぐのところで、題目塔が2塔建っていることに気づき、立ち止まって確認する。

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かなり風化しているが、上の塔では「天下泰平五穀豊穣」、下では「奉唱満玄佛(?)三千百五十部」の文字が読める。何の記念碑だろうか?

次は、また歴史の道に戻って、南下して舟津町の妙正寺へ向かう。

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妙正寺は、法華宗本門流の寺院である。

法華宗の宗派には、本門法華宗と法華宗本門流とがありややこしい。

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三十番神を祀っているようだが、中は見れない。

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開基は法華宗本門流の派祖である日隆上人である。Pb060164

下の碑は日像菩薩作とあるから、かなり古いものと思われる。
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続いて、歴史の道を逆行北上して水落の法華寺へ向かう。

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法華寺は法華宗真門流の寺院。創立は長禄3年(1459年)。

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開山・開基は實然法印上人(本山平等会寺3世)である。

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帰路は、同じく歴史の道で福井に向かい、往路と同じく北国街道で帰宅する。

走行距離は42km。

2022年11月 4日 (金)

法華宗お寺巡りサイクリング 20 (鯖江市西部)

2022年11月3日 木曜日 晴 10-22℃

昨日に続いて穏やかな晴天日。こんな日にジッとしていられない。今日は鯖江市内にある法華宗の寺院巡りに出かけることに。

鯖江市内にある法華宗の寺院は、次の地図で見るように全部で七ヶ寺。なお平等会寺には境内に2つの塔頭(たっちゅう)寺院もある。

このうち、今日の訪問予定は、鯖江市の西部にある題目堂(隆宝教会)、平等会寺、本蔵寺、盛隆寺の4ヶ寺をこの順で巡る。

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福井市から鯖江市へは県道182号線、252号線で南方へ走る。

鯖江市に入って、浅水川にかかる弁天橋を渡って、商店街の路地を東方へ走ると、左手に題目堂の石塔が見えてきた。

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たまたま何かの法要があるようで、数人の参拝者があり、読経の最中であった。

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題目堂は、「隆宝教会」という法華宗本門流の寺院として登録されているようだ。

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続いて西方に向かって日野川の左岸に行き、堤防道路を南下して平等会寺へ向かう。吉川橋で右折して平井の集落に入り、平等会寺に到着。

法華宗真門流平等会寺は、最初は弘仁年間(810-820年)に建てられた天台密教の大寺であったと伝えられている。

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その後約500年を経て、日蓮聖人の法孫日像菩薩が北陸弘通の時、妙法の結縁にあい、天寿2年(1376年)日妙阿闍梨(アジャリ)の時改宗して、寺号を妙法山平等会寺と改めた。

山門は全体が禅様式でまとめられ、一間一戸の四脚門、笏谷石を四半敷とし、全て円柱で整えられている。Dscn4170

本堂を中心とした伽藍はよく整っている。文政2年(1829年)の火災後、安政2年(1855年)までに再建されたとされる。

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本堂の右手には三十番神堂が建つ。文政12年5月、当山末寺織田町上戸成道寺よりの奉納により移転再建されたものである。

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左手には祖師堂が建つ。文政12年3月21日、平井大火にて類焼し、4月下河端講中協議の結果、万場一致にて御講堂を移築し現在の祖師堂とした。

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堂内には、中央に日蓮聖人の木像を安置し、向かって右には本山開祖日真和尚の木像、左には当山開基日妙阿闍梨木像が安置されている。残念ながら堂内を見ることはできなかった。

次は一切経堂。「一切経」とは、仏教聖典の総称、大蔵経ともいう。お釈迦様の全ての教えである。

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明治39年下河端八田次郎兵衛、八田善左衛門、八田平七氏三名にて、当山38世日命上人代に、金沢妙国寺蔵より移し寄進されたた。平成14年三氏にて再改築。

現在北陸において一切経堂があるのは当山と数ケ寺だけ。

本山開祖日真大和尚(左)、開基日妙阿闍梨(右)の記念石碑。

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当山歴代霊廟。

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鐘楼は、木割(各部材の寸法の比率)が大きく、保存状態の良好で、寺院の伽藍景観に大きな役割を果たしている。Dscn4177

境内には、塔頭寺院の常在院と真行院が建つ。

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最後に日蓮大聖人像を拝んでお寺を後にする。

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次は二丁掛町にある本蔵寺に向かう。

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本蔵寺の創立は天正5年(1577年)8月28日。開山は栄得院日等。

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元禄七年(1694年)と記されているが、何の記念石塔だろうか?「壇那中」の意味がわからない。

最後に、盛隆寺へ。

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盛隆寺の創立は、寛永14年(1638年)、開山は圓蔵院日教上人。

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石碑には「享保九年四月二十六日 當寺中興」と記されている。享保9年は1724年。中興ということは、火災か何かの後に新しく立て直したことかな?

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別の題目塔には、「開基日真大和尚」とある。

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帰路は日野川沿いの丹南サイクリングロードを利用して福井市に向かう。

いつもは日野川左岸沿いの堤防を走り、清水山橋を渡ってから右岸を走るのだが、今回は初めて朝宮橋まで走り、ここで右折して福井市街地に入り帰宅。

走行距離は44kmだった。

2022年11月 1日 (火)

法華宗お寺巡りサイクリング 18 (善隆寺、妙正寺)

2022年10月30日 日曜日 晴 7-19℃

天気は良いが、気温はやや低めで、冷たい北風が吹く。サイクリングの服装はやや厚着にする。

今日は、法華宗のお寺巡りとして、越前町(旧丹生郡朝日町)栃川にある善隆寺と、福井市南居町にある妙正寺を訪問する。

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福井市から福井四ケ浦線(県道6号)で西方に走り、上天下町あたりで志津川にかかる小羽橋を渡って左折、県道253号線(清水麻生津線)を南下して越前町へ向かう。

島寺町、御油町、真栗町、甑谷町、在田町の集落を順次過ぎ、天宝で右折する。

ナビは山道を登る道に導くが、後で知ったのだが、参拝の順当な道は山道にのぼる手前で右折して、栃川の集落に入って行くのがよい。

次の写真は善隆寺の題目塔であるが、参拝後の戻り道で見つけた。

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題目の文字は風化して全く読めない。かろうじて、善隆寺の寺号が読める。

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山道を登らずに栃川の集落に入って行くと、お寺の参道階段と山門(鐘楼門)が見えてくる。

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次は本堂の側から見た鐘楼門。

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お寺の縁起等に関しては、文政5年(1822年)の火災の節に書類等が消失・不残のため不詳である。

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山の上に、お寺のすぐそばに熊野神社が建つ。神仏習合の時代に関係があったのかどうかは不明。

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次は、福井市南居町の妙正寺へ向かう。

県道32号線(清水美山線)で東方へ向かい、清水山橋を渡って日野川の反対側に行き、県道182号線に入って北上すると、妙正寺の題目塔が見えてきた。

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県道から右手に外れて南居の集落に入って行くと、左手に題目塔が見えてくる。

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山門の手前の右手には墓地がある。

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山門をくぐって本堂へ。

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妙正寺の縁起に関しては、明和6年(1769年)の火災で旧記を消失し不詳。

ただ、境内にある墓碑から、開基は承応2年(1653年)常照院日惠聖人であることが分かった。

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境内には、欅と思われる切り株が残っている。その大きさからお寺の古い歴史を感じる。

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お寺の西側、県道182号線に面して大己貴(おおなむち)神社が建つ。

神仏習合の時代にはお寺と関係があったと思われる。

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神社を離れ、県道を北上して帰路についた。

走行距離は38km。

2022年10月26日 (水)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 16(南越前町B)

2022年10月26日 水曜日 快晴 6-19℃

素晴らしい秋晴れ。

今日は南越前町の次の三ヶ寺を訪問する。高照寺は法華宗のお寺である。

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車にミニベロのダホン・ルートを載せ、北陸高速道路南条SAの道の駅「南えちぜん山海里」まで。ここからお寺巡りサイクリングの開始である。

305号線を南西の方へ10分ほど走り、上別所の集落に入って右手に折れると、高照寺の題目塔が見えてきた。

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高照寺は、文明年間1480-1487年日遊上人の創建。

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立派な山門をくぐるとすぐ本堂へ。

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残念ながら本堂の戸には鍵がかかり、中に入って参拝することはできません。

本堂内には「三光堂」があり、三十番神が安置してあるらしい。

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本堂は明治28年10月に再建されている。

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境内にある高さ15メートル、胸高周囲4.5メートルの大欅二本の樹齢は推定500年といわれ、町でも屈指の古木である。

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高照寺を後にして、305号線を戻って日野川沿いのサイクリングロードを南の方へ走り、湯尾の妙法寺へ向かう。

日野川沿いのサイクリングロードは快適。

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サイクリングロードから右手にそれて、湯尾谷川沿いに走り、すぐに妙法寺に到着。

妙法寺は、天文元年(1532年)寶泉院日善上人が開基と伝えられる。

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明治4年の大火により堂宇が類焼し、寺の記録什器等は焼失したため沿革は不明。

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現在の本堂は、明治5年今庄禅宗陽林寺が廃寺となるに及び、堂宇を購入したものである。

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妙法寺を離れ、日野川の反対側に渡り、南条の方へ戻る方向に走り、蓮華寺に向かう。

202号線を東の方に走って、途中にある杣山神社を参拝する。

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阿久和の集落に入って、蓮華寺に到着。

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蓮華寺は、天正2年(1574年)妙泰寺6世円珠院広春の隠居寺として創設された。

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元禄年中に、妙泰寺13世九織院日琢が荒廃した堂宇を現在地に移して再興して、日琢の隠居寺とした。

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元は大乗坊という真言宗の寺で、阿久和のほぼ中央神宮灯篭のあたりにあったのが改宗、現在地に移転されたと伝えられる。

本堂の戸には鍵がかかり、住職は常駐していない様子である。

本堂の左手に七面堂が建っている。

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前回の訪問の時、境内を清掃されている檀家の方がおられ、少しだけお話を伺うことができた。

その時、檀家は全部で10数件で、しかも全て「島崎」という名字であるとお話しされたことが印象的だった。

お寺を後にして、南条SAの道の駅に戻り、昼食をとって帰路に着いた。

走行距離は20kmほど。

2022年10月23日 (日)

法華宗お寺巡りサイクリング 15(旧丹生郡織田町・清水町山内)

2022年10月19日 水曜日 快晴 24℃

素晴らしい秋晴れ日。

今日は福井市から旧丹生郡織田町(現越前町)の方に向かって、県道6号〜3号線(福井大森河野線)を走る。

途中まず、旧丹生郡清水町山内(現福井市山内町)にある法華宗の寺院、本行寺と高成寺の参拝。

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山内町の集落に入ると、まず本行寺の題目塔が目に入る。

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本行寺は寛永13年(1636年)7月創立。開基真含院日應。

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本堂の右手には鐘楼と、何かの祠が見える。

三十番神の祠かなと思いながらも、特に確認せずにお寺を後にする。

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続いて隣りの高成寺へ向かう。

題目塔が迎えてくれる。

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立派な山門。鐘楼も兼ねている。

高成寺の創立は慶長3年(1598年)5月。開基は善光院日俊大徳。Pa190040

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隣には加茂神社。

神社がすぐ横にあるのは、神仏習合の名残である。

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加茂神社の右手奥には、三十番神を祀る祠がある。

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三十番神は神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民を守護するとされた30柱の神々である。

中世以降、特に日蓮宗と法華宗で法華経の守護の神(諸天善神)として重視された。

京都に日蓮宗を布教しようとした日像が布教のために、比叡山の三十番神を取り入れた。

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県道6号線をさらに走って、織田の町に入ると、織田信長像が迎えてくれる。

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織田には本源寺が、上中山には蓮成寺がある。

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まずは劔神社でお参り。

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本源寺は劔神社のそばにある。

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本源寺は、県立図書館にある寺院台帳の記載では、

「劔神社別当金栄山織田村の類にて真言宗なり」

さらに、「檀徒人依頼によって天正10年(1572年)度日蓮宗に転して本源寺と称す」とある。

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やはり三十番神を祀る祠がある。

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続いて、365号線を越前海岸の方へ10分ほど走り、蓮成寺に到着。

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蓮成寺の開基は一雲法印。延喜15年(914年)の創立と歴史は古い。

元は真言宗のお寺である。

寺院台帳によると、

「太永元年(1521年)5月に当山佳持日善なる者本隆寺日真当國弘通の時其教化によってその末寺となり現今に至る」とある。

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本堂の左寺に三十番神のものと思える祠あるが、工事中のため近づけない。

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復路は往路と同じ道を引き返す

本来なら福井まではなだらかな下り坂が続き、楽なはずだが...

風力6mぐらい北西の向かい風が強く、下り坂の恩恵は帳消しに....

走行距離60 kmぐらい、バッテリ消耗は60%であった。

2022年9月27日 (火)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 13(大野市)


2022年9月26日 月曜日 晴 17-31℃

お彼岸を過ぎてから徐々に涼しくなってきた。

ということで、お寺巡りサイクリングを再開することに。

今日は大野市の日蓮宗のお寺へ いざ出発!

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大野市までは、先ず足羽川堤防のサイクリングロードを走って、一乗谷あさくら水の駅へ向かう。

ここでしばらく休憩してから、足羽川沿いに県道31号線、旧国道158号線を走る。

旧158号線は道路はやや狭いが、交通量は遥かに少ない。

縫原町あたりまで来ると、荒島岳が見えてきた。

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大野市街に入る手前に「新丁(しんようろう)トンネル」がある。トンネルの長さは約500メートル。

自転車で走って通れるような歩道はあるのだが.....幅は約1メートル。

側を大型トラックが通り過ぎると強い風圧を受けて、歩道から落ちそうになる、、、怖。

自転車を降りて自転車を引きながら歩くことにした。この方が年寄りには無難だ。

やっとトンネルを通り抜けると、越前大野城が見えてきた。

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結ステーションに到着。大野市にやって来たという感じがした。

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市内にある日蓮宗のお寺は次の三ヶ寺。

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日蓮宗のお寺はすべて寺町通りに集まっている。

これは、織田信長の武将金森長近公が大野へ入封後、京の都に模して碁盤目のまちづくりをはじめ、町の東端に寺院を集めて「寺町」を作ったことに由来する。

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先ず妙典寺から参拝開始。

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妙典寺は、明応年間(1492〜1501年)の1500年に創立。開山は実慶院日応。

どこに開創されたかは不詳であるが、おそらく現在の千葉県市原市と思われる。

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結城秀頼の第6男で大野城主だった松平直良により大野城下へと招かれ現在に至る。

境内の「水かけ地蔵」に水を三杯掛け、合掌し心の円満を祈願すると、微笑んでくれると言われている。

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次は、隣にある圓立寺へ。

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圓立寺は永禄4年(1561年)の創立(1556年創立とも)。開山は長寿院日運。開基は壇越の円立院日真居士。

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もとは土橋の庄に創建されたが、天正3年(1576年)、大野藩主金森長近の時、城下町建設に伴い現在地に移転。

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福井藩主松平秀康の6男である松平直良の菩提寺である。

本堂の戸は閉まっていたが、ガラス戸のガラス越に中を拝観させていただく。

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本堂の隣には鬼子母神、大黒天、七面大明神、清正公(松平直良の守本尊)を祀る祠がある。

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彼岸の法要が済んだところだからでしょう、墓地には卒塔婆が林立している。

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最後に大雄院へ。

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大雄院は、承応元年(1652年)の創立(慶長14年1609年とも)。開基大雄院日前。

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本堂は閉まっていたが、木柾を叩いている音が聞こえる。

ご上人様がお経をあげていらっしゃるようだ。

外から合掌だけして、お寺を後にした。

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お昼ご飯を「ねんりん茶屋のーそん」でおろしそばを食べ、帰路についた。

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往路とほぼ同じ道を引き返し、新丁トンネルはやはり歩いた...

走行距離約70Km。5時帰宅。

2022年6月18日 (土)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 12(南越前町A)

2022年6月18日 土曜日 晴時々曇 20-29℃

南条郡南越前町にある日蓮宗寺院は9ヶ寺。

これらの寺院を訪問するにあたって、便宜上この地域を下の地図のように三区分する。

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今日はこのうちA区の三ヶ寺、妙泰寺、秀香寺(しゅうこうじ)、歓喜寺を訪問する。

さらに、この地区には法華宗のお寺の本高寺もあるので、ここも訪問することにする。

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訪問の順は、南の妙泰寺から始めて北上し、最後に歓喜寺を訪問の予定。

福井市内はいつもの旧街道の北陸道を走り、鯖江まで行き日野川にかかる有定橋の手前で河川敷に降りて、丹南サイクリングロードを走る。

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「しくら橋」の上が越前市と鯖江市の境界になっていることを知った。

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河川敷サイクリングロードから国道365号線に入り、南条の方へ向かう。

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東大道に到着。妙泰寺はこの辺りのはず。

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寺院の近くには、寺院に導くための題目塔が建つ。

このような塔は寺院の入り口の近くでよく建てられているもので、吹雪に見舞われて道路が消えた時などに、遠方からでもすぐにわかるように通行人の安全を図ると共に、信仰心の証しを示すものとして建てられている。

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北陸線の踏切を横切って、総門に到着。

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妙泰寺は「北國身延」とも称される。

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本寺を7回参詣すれば、身延の総本山に詣でたの同じ功徳を得られるそうだ。

私は今回が3回目だから、あと4回参拝しないと...

参道の両脇には塔頭(たっちゅう)の跡が並ぶ。塔頭は全部で9ヶ寺擁していたらしい。

「塔頭」というのは、祖師や門徒高僧の死後にその弟子が師の得を慕い、大寺に寄り添って建てた庵などの小院のことである。

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各塔頭の跡にはそれを示す石碑が立つ。

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山門(仁王門)が見えてきたが、門に行く前に境内の案内板をみよう。

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橘曙覧は幼少の頃この寺で学問を積んだそうだ。

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庫裡

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客殿

では、山門(仁王門)へ。

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妙泰寺は、永仁2年(1294年)日蓮大聖人の法孫である日像菩薩が巡化の途次に、甲州の身延山を彷彿させる当地に一寺を建立して開山・開基。

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本堂前には、日蓮大聖人と日像上人の銅像が建つ。

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本寺は、越前最初の根本道場となり、「妙顕寺四箇聖跡」の一寺に列する。なお「妙顕寺四箇聖跡」の他の三ヶ寺は、妙勧寺(越前市今宿)、妙顕寺(敦賀市元町)、妙興寺(小浜市鹿島)。

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広い境内には、延享3年建立の本堂をはじめ、宝蔵、五重塔、鐘楼堂などが樹齢300年ともいわれる老杉に囲まれている。

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妙泰寺ではもっとゆっくり時間をとりたいとも思ったが、空模様がちょっと心配なので、先を急ぐことに。

次の本高寺へ向かう。

この寺は以前にも一度訪問しているので、場所はわかっている。

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本高寺(法華宗八品派本能寺末)は、弘治2年(1556年)日等本山15世開基。

昭和39年本堂を改修した。

なお、本高寺及びその門前が真言宗から法華宗に改宗したとき祀ったという「天神堂」が東谷にあるが、この寺に関係があると思われている。

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続いて、秀香寺へ向かう。

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秀香寺の縁起は少し変わっている。

明治22年に三つの寺院が合併したのである。

妙泰寺18世住職日慶僧都が合併開基し、現寺号を公称した。

その三寺院とは...天文16年(1547年)に本覚院快丹律師が創立の成就寺、弘治2年(1560年)に華光院日丹律師(妙泰寺5世日為の弟子)が創立の常妙寺、元和元年(1615年)に蓮光院日然律師が創立の蓮光寺の三ヶ寺。

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合併の理由は...少檀微禄により維持困難となったためで、新寺は常妙寺の旧跡に建てられた。

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昭和41年に庫裏を再建、昭和57年に鐘楼堂を再建した。

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境内には三十番神を祀る小規模ながら番神堂がある。

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最後に、歓喜寺へ向かう。

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歓喜寺の歴史は浅い。

昭和初期に当町の沢崎彌三郎恩師(廣導院殿)の絶大なる釈尊の真理、法華経による神通力に、県内外より信徒を雲集して、小川辰治恩師(廣宣院殿)が開山した。

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昭和15年大伽藍が完成。

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昭和20年豪雪被害で一部倒壊し妙見堂を残して焼失。昭和56年再建復興。

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妙見堂

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釈迦堂

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お地蔵様もコロナ感染しないように...

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江守清喜翁の石碑が建つ。日華化学の江守様と関係ありそうです。

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最後に沢崎彌三郎恩師(廣導院殿)のお墓をお参りして帰路についた。

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日差しは弱かったものの、気温はやや高めで湿度が高かったせいか、やはり疲れた。

走行距離65km。自転車のバッテリーは50%、私の体力は90%の消耗。

今日はゆっくり寝よう...