2022年6月10日 (金)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 11(勝山市+国泰寺)

2022年6月10日 金曜日 晴 18-26℃

今日は勝山の日蓮宗のお寺へ。

勝山市にある日蓮宗の寺院は大蓮寺だけ。

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自宅のある福井市から勝山市までのルートは、九頭竜川沿いのサイクリングロードで終着点の鳴鹿大堰まで行き、そこからは九頭竜川の北側を走る県道17号線などを利用。

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五松橋を渡って、九頭竜川の北側(右岸)堤防へ。

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河川公園ではマレットゴルフを楽しむ人がチラホラ見える... 平日のせいか、時間が早いせいか、いつもよりは少ないようだ。

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鳴鹿大堰、サイクリングロードの終着点。

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しばし大堰の見学をしよう...

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鮎のための魚道。スコットランドでは、鮭の魚道を「サーモン・ラダー」といっていたな。

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九頭竜川資料館。サイクリストはここでトイレを自由に利用できる。

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サイクリングロードはここが終着。

この先は一般道を走る。交通費はそれほど多くないが、時々大型トラックが横を通り過ぎるから、要注意だ。

できるだけ自転車通行帯を走るのが良さそう。

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17号線は「鮎街道」という愛称がついているんだ。

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途中で「たんたん清水」を発見。本当に冷たくておいしい清水だ。

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勝山市内に入って、大蓮寺に到着。

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寛永元年(1624年)の創立。中興開山見隆院日然。開基壇越松平大和守直基。

中興とは、一度衰えていた寺院を復興させたということ。

壇越(だんおつ)とは、寺院や僧に布施をする信者のこと。檀那、檀家と同じ。

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大和守直基が勝山の地に初封せられ、祖父大連院殿一忠休心大居士と母品量院殿妙受日覚禅尼の菩提のために当寺を建立。

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34世一天院日勤の代に御影石造の宗祖像を勝山駅前の山の中腹に建立した。

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お寺の向かいには、福井の銘酒「一本義」の製造元久保酒造の本店がある。

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さて、日蓮宗のお寺巡りとしてはこれで終わり。

勝山には日蓮宗と親戚関係の法華宗の寺院はない。真言宗の寺院もないようだ。

市内をふらふら走って、一風変わったお寺を発見。

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「圓福山国泰寺」という寺院。名称や建物の雰囲気から察するに、浄土真宗や真宗ではなさそう。

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龍宮城を連想させられる。

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この寺院は、平泉寺末南教坊の跡地に、1678年黄檗宗(おうばくしゅう)の僧が庵を築いたのが始まりと言われている。

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本堂は下の写真。

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1690年に国泰寺となり、勝山藩主小笠原家の菩提寺の一つになっている。

この寺院の近くには、「勝山の道」沿いに神明神社が建つ。

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勝山駅の近くでは、恐竜君が観光客を迎えている。

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ここあたりで、勝山市を離れて帰路につくことにする。

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道の駅では、また「フクイラプトル君」が...

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橋の名称にまで「きょうりゅう」がつきまとう。

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走行距離は68.7km。バッテリーは70%近くを消耗、体力もかなり消耗した。

さすがに疲れた。

2022年6月 9日 (木)

朝倉氏館跡・一乗滝サイクリング

2022年6月9日 木曜日 晴 14-25℃

福井地方もそろそろ梅雨入る頃、今日は天気がよく気温も高くない。

ということで、一乗滝までサイクリングをすることに。

福井市の自宅を出て、足羽川にかかる幸橋を渡り、南側から河川敷サイクリングロードに入る。

この辺りに由利公正の家があったそうな。

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新幹線の河川橋梁もほぼ完成している。2年後には新幹線が走るはず。

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8号線の足羽大橋をくぐり抜けたあたりから稲津橋あたりまで、しばらく堤防の一般道路を走る。

交通量はそれほど多くない。

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右手に見える茶色の建物は県立図書館。

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稲津橋の近くには鮎が遡上できるように魚道が... 鮎の姿はまだ見えない。6月18日が解禁。

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稲津橋。これを渡るわけではない。

この辺りから再び堤防上のサイクリングロードを走る。

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サイクリングロードはそろそろ終着点、道の駅「一乗谷あさくら水の駅」に到着。

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この小川では、確か、蛍が乱舞するはず。そろそろその季節だろう。

トイレ休憩だけして、先を急ぐ。

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歴史の街に相応しく、ユニークな堰堤(えんてい)。

数分走って...

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ここからさらに数分走って...

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朝倉義景館に残る唐門は、義景の菩提を弔うために移築された松雲院の山門で、豊臣秀吉が寄進したものと言われている。

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唐門をくぐれば館跡が見える。

見るところは沢山あるが、先を急いで一乗滝の方へ向かう。

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ここあたりからは登坂の傾斜度がキツくなってきた。

電動アシストのパワーは全開、ギヤは1か2のローギアで走る....

小次郎の里ファミリーパークに到着。

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ここはバーベキュー公園。お客さんの姿は見えない、受付の男性も暇そうに居眠り...

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登り坂の傾斜度は一段とキツくなってきた...

そしてやっと...

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佐々木小次郎が迎えてくれた...

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佐々木小次郎はここで「つばめ返し」の剣術をあみだしたと言われている。

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観光客や涼を求める人の姿はまだほとんと見えない。写真家の方がお一人だけ。

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帰りの下り坂は自転車を漕ぐ必要はない。登りの苦労を労ってくれる。

時速も30km/hぐらい...

水の駅でアイスを食べ、一息ついて、来た道と同じ道で帰路についた...

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走行距離は40km。バッテリー消耗は30〜40%。

2022年5月27日 (金)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 10(丸岡町+α)

2022年5月27日 金曜日 雲のち晴 17-27℃

坂井市丸岡町には日蓮宗のお寺が2ケ寺ある。下の地図で下部の二つの地点マーク、左が法栄寺で右が妙光寺。

今回はこの他にも、地図上部の左手の法華寺・日源寺と、右手の真言宗・直乗寺の2ケ寺も訪問する予定。

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めぐる順序は、日蓮宗の2ケ寺をまず訪問し、その後で日源寺と直乗寺をこの順で巡る。

自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤ。

午前中は大気が不安定で、西の方には雨雲も見えていたが、10時半頃から天気が回復してきた。

サイクリングに出るにはやや遅いが、思い切って、10時50分出発。

九頭竜川は舟橋を渡って、丸岡の方へ向かう。

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舟橋を渡ってすぐ右手に折れ、堤防の道路を東に向かって走る。

以前にはなかった自転車通行帯がいつの間にかきれいにできている。

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丸岡町に入って、妙光寺に到着。

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妙光寺は天正4年(1576年)の創立。開山は日是、開基は慈徳院日然、天台宗より改宗。

ところで、お寺の縁起ではよく「開山」と「開基」という言葉が用いられるが、その違いは....

「開山」とは閑静な地を選び山谷を切り開いて仏法を求めること、あるいは僧侶のこと。

「開基」とは寺院の建立に際して基礎を開いて(資金を提供した)僧侶、あるいは武士や貴族などの有力者などのこと。

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確か、昨年から宿坊もはじめたとのこと。その旨を表す看板も掛かっている。

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法栄寺はすぐそばにある。

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法栄寺は、天正2年(1574年)の創立。縁起に関する詳細は不明。

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昭和23年の北陸地震で本堂・庫裏が倒壊したが、昭和30年11月に本堂を再建、昭和38年には庫裏を再建した。

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丸岡町は城下町なので町中だけでなく、近辺地区にも寺院がたくさんある。

今日は、日蓮宗の寺院の他に、法華宗の日源寺と真言宗の直乗寺も訪問する。

日源寺はあわら市瓜生(うりゅう)、旧地名では坂井郡金津町の地区にある。

県道147号線を北に向かって5kmほど走ると、右手に見えてきた。

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日源寺は日栄が開山、1291年に開基し善鷹寺(禅応寺)と称したが、1294年に日像上人に従い天台宗から法華宗に改宗し、日源寺と称するようになったと伝えられている。

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後に、瓜生城を築城し、戦国時代には武曽氏は越前守護大名朝倉氏に仕えたが、朝倉市の滅亡と共に武曽氏も衰退した。日源寺はその武曽氏の菩提寺である。

ところで...

言い伝えでは「1294年に日像上人に従い天台宗から法華宗に改宗し」ということだが...よく考えると、日像上人が改宗をさせたのなら、なぜ日蓮宗ではないのか???.

運よく、お寺の奥様が出てこられて、本堂を開けていただき本堂の中に入れていただいた。

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ついでに、上の疑問の件を奥様にお尋ねすると、やはりご住職(不在であったが)も年代的に合わないので不審に思っているとか。とにかく、お寺には文書の記録が全く残っていないので、言い伝えのまま信じているよう。

お寺の横には、横山神社があるが、神社としてはなんか奇妙な名称。

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ここから、来た道を戻って、直乗寺に向かう。

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直乗院は真言宗の寺院。

建長元年(1250年)頃に道範大徳が一宇を建立して開基。本尊胎蔵界五智如来を祀り、仏眼山直乗院と号した。

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仏眼山という山号の名称の由来が気になりますが、不明。

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丸岡城の鬼門の方向に位置していたため、本多家が丸岡城主の頃祈願所とされ、寺紋に「本多立ち葵」を受けている。

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境内には、新江用水の開拓に貢献した渡辺泉龍の墓碑が建っている。

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隣には白山神社が建つ。

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隣の虚空蔵堂には、2対の狛犬が鎮座してお堂を守っている。

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帰路は、ここから真っ直ぐ南下し、福井大学医学部のあたりから九頭竜川沿いのサイクリングロードを走る。西風の向かい風で、電動自転車のバッテリーはパワー全開。

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走行距離は38.6km。バッテリーの消費は40%。

2022年5月23日 (月)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 9(越前市A)

2022年5月23日 月曜日 快晴 16-23℃

今日の越前市の日蓮宗お寺巡りは、下の地図でA区域。

まず、A区域の左手で離れて建つ2ヶ寺は、左が成福寺でその右が妙行寺。

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次に、その右手の市街地には8ケ寺が群集している。その箇所を拡大すると...

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上から順に、妙国寺、栄久寺(この2寺は隣接している)、経王寺、妙唱寺、蓮尚寺、妙高寺、妙智寺、本行寺。

巡る順序は、まず市街地の8ケ寺を巡り、その後で左手の2ケ寺を回る予定。

天気予報では北北西の風が2〜4m。帰路は向かい風になりそう...

9時発。福井市から鯖江市まではいつもの旧街道の北陸道(歴史の道)を利用。

よく走る街道なのに、今回水落を通って初めて気付いたが、水落は旧宿場町だったようだ。

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鯖江市からは高専の後ろの日野川堤防沿いに走り、家久の方へ向かう。

県道188号線を福武線に沿って走ります。家久、スポーツ公園、北府などの駅を左手に見ながら走り、旧武生市街地に入る。

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ここは『尾花新地』と呼ばれた遊郭が存在していた。現在は越前市桂町という名称。広い路地とそれを二分する用水路が路の真ん中を流れ、水路に沿って松並木が続いている。

寺町通に入ると天満宮が、その向かい側には国分寺がある。

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寺町通を西の方に向かって進むと、突き当たりには大きな引接寺が見える。

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引接寺は以前にお参りしたこともあり、日蓮宗のお寺ではないので今回はお参りはしない。

引接寺に到達するまでの手前左手に、妙国寺と栄久寺が隣接して建っている。

栄久寺から先にお参りする。

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栄久寺は、大永5年(1525年)越前府中に創立。開山経王院日要は、京都本山妙覚等の学頭として京都での天文法難を前後とし、布教宣戦拡大の為に越前の中心地府中に堂字を建立した。

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日像菩薩御作とされる日蓮大聖人御木造を奉安し、室町・江戸期より大いなる庶民信仰の中心となり、俗称『厄除けの祖師・一木三体の祖師』とも言われる。

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嘉永五年(1853年)武生の大火で類焼。諸堂及び記録等をことごとく失ったが、厄除け祖師像のみ残る。23世日存より復旧事業が進み、24世日慶が明治19年本堂を再建。現在に至る。

次は隣の妙国寺へ。

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妙国寺は、応仁元年(1467年)創立。開基檀越宗林居士・開山日東聖人は、当山に居住すること5年、文明3年に(1471年)に、弟子「清般」に寺を譲り、行化の旅に出、三重県伊賀上野に上行寺を建立。

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第5世宗日恵上人は、慶長の頃、隣接の真言宗一乗坊を改宗せレめ、妙国寺塔頭一乗寺としたが、時の推移とともに荒廃し、寛永年中に一乗寺住持・梅信院日満上人が万部塔を建立、寺を廃して 当山に合併した。

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本堂は開山上人が応仁元年に堂字を建立したが、宝暦12年(1762年)の類焼、嘉永5年(1852年)には武生大火で再度類焼、20世日詠上人が文久2年(1862年)再建に着手し、明治10年に完成。現在に至る。

寺町通りを退いて、総社通りを走る。

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総社のお参りは、時間があまりないので割愛。

経王寺に到着。

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経王寺は、永仁2年(1294年)、北陸弘通の祖「龍華樹院日像菩薩」を開山して一乗谷に創建され、越前太守朝倉家の庇護を蒙り菩提所として権威を誇る。その後、朝倉家滅亡により、天正3年(1575年)前田利家公府中在城の折、現在地に堂字を建立。

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嘉永法歴の府中大火にて本堂などは焼失したが、慶応4年(1868年)、本堂・表門の書院等を再建、現在に至る。

次は、タンス通りを走って妙唱寺へ向かう。

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孫に買ってやりたいような木製のおもちゃも売っている。

妙唱寺へは細い路地から入って行く。

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妙唱寺は寛文6年(1661年)の創立。開山は経王寺6世日鷲。2世妙久の代に妙顕寺より庵号を授与せられ妙唱庵と号す。

昭和30年に妙見堂を建立す。同34年に経栄山妙唱寺と寺号を公称す。

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尼さんのお寺らしく、お庭をきれいに手入れしている。

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次は、蓮尚寺へ。

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蓮尚寺は、応永年間(1394-1427年)の創立。戦国大名朝倉家の庇護のもと足羽郡一乗谷にあった。当時上杉謙信の兄長尾晴景は失脚し、その子昌景は越後をのがれ朝倉家に仕えたが、その3世の孫宗賢は主家没落後府中に至り、本多家に仕え、天正年間(1573-1585年)、正法院日林を開山として、現在の地に蓮尚寺(日蓮宗)を再興した。

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その後宝歴12年(1762年)、嘉永5年(1852年)の再度の大火に類焼し、現在の本堂は明治12年の建立である。

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ここから次の妙高寺へ向かう途中に「卍が辻」がある。

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ここで、途中のコンビニで買ったおむすびを食べて一休みする...

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妙高寺に来た。

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妙高寺は嘉吉3年(1443年)、久遠成院日親聖人開基の寺。日親聖人は宗門史上、最も迫害を受けた僧で、幕府に立正治国論を建白した人でも知られている。

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上人が佐渡巡拝の時、当地の桑野源左エ門は上人の熱烈なる法を聞き改宗、一子を投じて弟子となし、この寺を創建した。


桑野家は、江戸時代には福井藩の両替業務に携わり、町の総代も務めている。


境内の北側には八木翁の顕徳碑が立っているが、本多家の家臣で明治2年の凶作で貧民の救助にあたり、金や米を貸し与えたが、貧民たちが返済のできない事を知り、證書を火に投じ、自らその責任を取り自刃した。

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次は、妙智寺へ。

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妙智寺は永仁2年(1294年)、日像上人により創建されたといわれる。本尊は久遠実成釈迦牟尼仏である。本堂には、霊山帰子育鬼子母神も祀られており、また水子観世音菩薩も安置されている。

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枷藍は、承応年間(1652〜55年)の祝融により、宝物・書類など一切が烏有に帰したといわれる。その後本堂などは再建されたが、庚申町より出火した嘉永5年(1852年)3月の府中大火に遭い、再びすべてが焼失したという。

最後の本行寺は妙智寺のすぐ隣にある。

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本行寺は、もとは真言宗。日蓮大聖人の孫弟子日像聖人開基の寺院。日像聖人は永仁2年(1294年) 2月『京都にお題目を広めよ』との日蓮大聖人の遺言を果さんが為、佐渡より北陸路を通り京都上洛の途であった。

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かねてより日像聖人の名声を聞き及んでいた時の住僧(真言宗時代の住職)は、早速法論を行うも遂に敗して聖人に帰伏す。そしてその教えと人格にうたれ、直ちに聖人の弟子となり、名を「府南坊日了律師」と改め、聖人を当山開基と仰ぎ、己は二祖に座す。

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境内には「日像聖人染筆岩題目」がある。

碑にかかれた説明によると...「この岩題目は 旧武生市小野町山中の山肌に刻書されていたものを 小野町ダム水没化に伴い 当地に移転建立するものなり」

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市街地の8ケ寺のお参りが済んで、次は西に向かう。

茶臼山の麓にある妙行寺に到着。

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妙行寺は永仁2年(1294年)の創立。もとは真言宗の寺であったが、ときの住僧本要律師が日像菩薩に教化されて改宗。法論の際、腰をかけられたと伝えられる御休息問答石がある。

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隣には、白山神社。

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最後の成福寺までは、さらに西の方へ大虫町までしばらく走行する。

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成福寺は明応8年(1499年)に真言宗から現在の日蓮宗に改宗した。初代開山の智勝院日成和尚が19歳の時、京都の妙顕寺から派遣された僧と成福寺において三日三晩の問答の結果遂に改宗されたとの記録がある。その後500年間、34世に至る今日まで法燈連綿と維持されている。

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境内の中に三十番神堂が立っているので、覗いてみることにする。

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中を覗いていると、幸いお寺のご上人が来られて扉を開けていただき、説明していただけた。

三十蕃神(さんじゅうばんしん)は、神仏習合の信仰で、毎日交代で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことである。

最澄が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代に盛んに信仰されるようになった。中世以降は特に日蓮宗・法華宗で重視され、法華経守護の神(法華神道)とされた。

蕃神堂の三十蕃神は、南越前町の秀香寺にも小さなお堂があり、中の番神を自由に拝観することができたように記憶している。

帰りはひたすら福井に向かって広域農道(県道28号)を走り、ホームセンターヤマギシのあたりから丹南サイクリングロードに入って帰路につく。

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走行距離は55.7km、バッテリーは50%残。

あ、疲れた。

2022年5月10日 (火)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 8(越前市C)

2022年5月10日 火曜日 晴のち曇 8-21℃

今日は、越前市にある日蓮宗のお寺のうち、下の地図のC区内にある3ヶ寺を訪問する予定。

上から順に、妙弓寺、感應寺、功徳寺。巡る順序は功徳寺から北上していく。自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤを使用。

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最初はいつものように旧街道の北陸道を走り、江端あたりで南東方向に向かい、国道8号線に入る。

右手に音楽堂(ハーモニーホール)が見える。

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8号線から左手に外れて、農道を走って行くと、文殊山が近くに見えてきた。

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鯖江市では「きらめきロード中河」という浅水川の堤防沿いのサイクリングロードを走行する。

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この道は4月の桜の時期はきれいだろうな。

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越前市の五分市町までは、まだ先がある。

ここから40分ほど走り続けて、ようやく五分市町の功徳寺に到着。

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功徳寺の創建は応永2年(1395年)。元は真言宗のお寺であったが、日像上人の北陸弘教の折に真言宗から日蓮宗に改宗。

もとは旧今立郡北日野村庄田区にあったが、約300年前、五分市小丸城に居を構えていた織田信長の重臣である佐々成政公の陣屋敷があった現在地に移転。

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次は、感應寺に向かう。ここから3キロほど北の方へ戻る。

寺院は、旧名称今立郡の粟田部(あわたべ)町にある。

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天文7年(1538年)の創立。開山開基は法性院日誉。もとは真言宗であったが"天文5年の法乱"の時、京都妙顕寺山内の広盛が当地に難を避け、天文7年に改宗した。

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"天文5年の法乱"というのは、天文法華の乱、天文法難ともいい、京都の日蓮宗を、比叡山をはじめとする諸宗が攻撃を加えた宗教戦争のことである。

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ついでに、感應寺のすぐそばの岡太(おかふと・おかもと)神社にもお参りする。

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この地はお蕎麦が美味しいことでも有名。

残念ながら、ちょうどお昼時で、有名な蕎麦店にはお客がいっぱいで、食べるのを諦める。

あと一つ訪問するお寺は妙弓寺。ここからそれほど遠くない。

10分ほど走って到着する。

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妙弓寺は中津山町にある。天正12年(1584年)(または天正5年)の創立。開山は松葉院日羿。

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寺号に「弓」という漢字が使われているのは、武具の弓と何か関係あるのだろうか...。

天正元年に織田・朝倉の兵乱が続くころ東郷村(福井市足羽町)に貞慶院日随が開山の慈雲山妙延寺があり、この寺は一乗谷城主朝倉義景の家臣であった弓術師範役山田文右衛門尉吉高一家の菩提寺であった。

ということで、弓と関係はありそうだ。

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さらに歴史を調べてみた。

朝倉は織田に敗れ、妙延寺も兵火により焼失、吉高は日随の末孫常安と共に日法作宗祖像を背に片上大野(大野町)に逃れ、南中津山に兵乱の静まるのを待って一宇を建立。

貧しさのために吉高は猟を糧としたが、殺生を懺悔し出家して身延山で修行。

天正12年2月に山寺号を身延17世日新より授与され、名を松義院日羿と改め粟田部新道に寺院を建立。

明治6年に大火により類焼、中津山妙延寺に仮居所を定める。

同20年に栗田部八幡に再建。大正10年8月に36世法導院日妙が現在地に移転、同12年に本堂を新築、旧本堂を庫裡とした。

寺院のすぐそばに神社があり、名称が、「式内国中神社」というこれまたユニークな名称である。

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手水鉢もユニークで、山の自然の水を引いているようだ。

もっときれいに手入れをして欲しいな。

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ここでちょっと一休みしてから帰路につく。

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帰りは向かい風が強く、電動アシストのパワーは全開。

来た道とほぼ同じ道で帰路につき、14:20着。

走行距離は51.2km。バッテリー50%消耗。

さあ、越前市の最後のお寺巡りは旧武生市街だ....。明日行けるかな...

2022年5月 7日 (土)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 7(越前市D)

2022年5月7日 土曜日 晴れのち曇り 14-27℃

今日の越前市の日蓮宗お寺巡りはD区です。下の地図で見るようにこの区域には2ケ寺あり、右が掟光寺、左が妙勧寺。この順で訪問する予定。

福井市内の自宅から掟光寺までは約30kmあり、ちょっとハードなサイクリングになりそうだ。

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自宅の福井市からは旧街道の北陸道(北国街道)で鯖江市の方へ向かう。

浅水あたりまでくると左手に文殊山が見えてきた。今日は空気が澄んでいるようで、よく見える。

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西鯖江の駅でトイレ休憩。

駅のそばには前からフオーを食べに行きたいと思っているベトナム料理店がある。そばを通り過ぎたらスープの準備をしているようで、良い匂いが漂ってきたー。

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鯖江市からは日野川の東側を通って越前市に入る。

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今日は暑い!木陰に入って時々給水休憩をとって... 熱中症にならないようにしないと。

県道136号線を走って、ようやく松ケ鼻トンネルまで。目指すお寺はもうすぐ。

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中平吹(なかひらぶき)町に入って、掟光寺に到着。ここまで27.6km。

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山号はなんかユニークな名称である。

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このお寺の歴史は興味深い...。

掟光寺は元は真言宗のお寺で日野山の中腹にあった。1573年、真言宗の僧雑明(ぞうみょう)の時、中平吹町の三田村七エ右衛門家より出家した千如院日栄上人との法論問答の結果、日蓮宗に改宗することになった。

ちょうどこの頃、1572年まで佐々布光林坊一族が居城している平吹城があったが、一向一揆の軍勢により焼き討ちに遭い焼失した。

そこで光林坊と縁者であった千如院日栄上人がこの地に寺地を移し、雑明山浄光寺と号して千如院日栄上人を開基開山としたのが始まりである。

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お城の跡地に建てたため、境内には土塁や庭園がのこり当時の面影をしのぶことができる。

1598年の太閤検地の時、役人が長期滞在した折、そのお礼として寺院ゆかりの光林坊掟運、掟俊の「掟」の字と光林坊の「光」の字を取り「掟光寺」と改めた。当時「掟」の字は、一般に使用禁止で御法度であったにも拘らず、検地役人に使用を特別に許された。

「掟光寺」という名称は日本中で唯一この寺だけが有する寺号である。

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過去2度落雷によって焼失し、現在の本堂は約200年前、第26世本地院日透上人の時に再建された。

途中のコンビニで買ったおにぎりを頬張って昼食。火野正平さんたちのランチとは違って質素だ...

お寺には住職も誰も常駐していないようだが、お手洗いは利用できた。

掟光寺の向かいに小さい寂れたお寺がある。

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お寺の縁側におばあさんが座っていたので、話を聞くことにする。

「このお寺は何ですか」--「これは、アンデラや」アンデラ???

「おばあさんはお寺の人ですか?」-- 「私はここを借りてるだけや」

「昔、このあたりにはお城があったのでしょ?」--「昔のことは知らん」

後で知ったのですが、アンデラというのは「尼寺」のことだった。

次のお寺の妙勧寺へ向かう。掟光寺からすぐ。

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このお寺も歴史を調べると由緒がありそう。

妙勧寺の創建は永仁2年(1294年)。日像上人が上洛の途次、疫病で苦しむ今宿村村民は北紺屋小兵衛の要請を受けた日像上人の祈祷により全快し、全村あげて真言宗より日蓮宗に改宗。

日像の弟子妙文がこの地に堂宇を建立し現在の寺号を公称した。永正3年(1506年)、14世日住の代に守護職朝倉貞景が寺領10石を寄進し、天文14年(1545年)朝倉孝景の頃には殺生禁断の制札を立てるほどに寺運が興盛した。

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慶長3年(1598年)には豊臣秀吉より境内地900坪を寺領と定められた。確かに、境内はかなり広い。

すぐ左隣には日吉神社が建っている。神仏習合がまだ残っているような雰囲気である。

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正徳2年(1712年) 29世日閑が中興となって、境内を拡張し本堂を再建、その後30世が客殿庫裏を再建され寺観が整えられた。

日像菩薩四箇聖跡(妙顕寺四箇聖跡)の一つに列し龍華別院と称する。

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境内も静かで落ち着くお寺である。

帰りは、日野川河川敷サイクリンロードなどを利用して帰路についた。

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白鬼女橋の近くの橋の上で、二人の撮り鉄の男の子がカメラを構えている...。横の鉄橋の上をそろそろ電車が通過するようだ。私も真似して...パチリ.... ちょっとタイミングは早かった。

江端川水門まで来て、ちょっと一休み。

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心地よい風が吹く堤防に座って...

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14:50帰宅。走行距離60.7km。バッテリー消耗は60%ぐらい。

2022年5月 4日 (水)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 6 (越前市B)

2022年5月4日 水曜日 快晴 9-26度

今日は、越前市(武生市)の日蓮宗お寺を巡る予定。

越前市にある日蓮宗寺院は20ケ寺で、下の地図で見るようにかなり分散している。訪問計画を立てるにあたって便宜上AからDに4区分。

今日はB区にあるお寺を訪問する予定。この区域には地図の左から右に、聞法寺、妙稲寺、信行寺、泉久寺、一乗寺の5ヶ寺があり、この順で巡る。自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤを使用。

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9:00発。今日は暑くなりそう。自宅のある福井市から鯖江市までは旧街道の北陸道を走る。

下の写真は中荒井に立つ石碑。

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鯖江に入って浅水川にかかる鳥羽橋には「北国街道」という名称が...

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北陸道と北国街道は異なるのかな...と考えながら走っていると神明に次の看板がある。なお、鯖江市では”歴史の道”という愛称がついている。

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鯖江市街に入る。

誠照寺(じょうしょうじ)は真宗誠照寺派の本山で、鯖江市はこのお寺の門前町として栄えた町である。

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鯖江市と旧称武生市との境いにある福井工業高等専門学校の前を通過。懐かしい...。

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日野川にかかる白鬼女(しらきじょ)橋。なんとも由緒ありげな名称だ.... 確かに地元にはいろいろな伝説があるようだ。この橋は渡らずに堤防沿いに家久町に向かう。

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やがて家久町にある聞法寺に到着。ここまで21km走行。ちょうど2時間かかった。

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聞法寺の創建は乾元元年(1302年)。最初は真言宗のお寺だったが、日像菩薩の強化によって改宗。開山は日像菩薩。

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ここから東の方へ、日野川を渡り、約20分ほど走って、妙稲寺に到着。

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妙稲寺の創立は延徳年間(1488〜92年)。現本堂は昭和6年に再建されたもの。

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次は国道8号線を横切って信行寺へ。5分ほどで到着。

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本堂の前には田んぼが広がり、ユニークな敷地に建つ。

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信行寺は、正保元年(1644年)に武家や農民等に法華経を説く道場として福井に建立されたが、廃藩置県により福井藩士が各地に離散したため、明治2年にこの高木町に移築され、創立以来連綿と法灯が継承されているとのこと。

次の泉久寺は信行寺のすぐそば。

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泉久寺は、延久2年(1070年)の開山。初めは真言宗の寺院であったが、南北朝時代、妙文僧都の弟子となった瓜生保の弟源琳(常精院日進上人)が『日野川の戦い』で焼失した泉久寺を日蓮宗に改宗し復興させたとのこと。

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いよいよ今日の最後の訪問寺一乗寺は、ここから南方の塚町に向かう。

日野山が見える田んぼの中を走る。

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泉久寺から10分ほどで一乗寺に到着。

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一乗寺に関しては、創建などに関する記録は残っていないようだ。

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幸い本堂の戸は開いているので、拝観させていただこう。

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帰路はナビで裏道優先にして田んぼの中の農道をあちこち、高速道路の脇などを走る。追い風だったので楽に走れた。

音楽堂近くのローソンではアイスを買って休憩。

14:09無事帰宅。走行距離49.1km。バッテリーはまだ60%残。

2022年5月 2日 (月)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 5(丹生郡)

2022年5月2日 月曜日 晴時々曇 8-17度

10:20発。今日は丹生郡にある日蓮宗のお寺を巡る。

丹生郡にある日蓮宗寺院は、下の地図で下から上へ法華寺、実相寺、蓮蔵寺の3ケ寺。この順で回ル予定。

自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤ。今日は坂道が多いから力量を発揮してくれるはず。

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日野川は久喜津橋を渡って清水町の方へ向かう。

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山沿いの道を走って、天王に到着。実相寺がこの地にあるのだが、法華寺に先に向かう。

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天王には八坂神社がある。由緒ありそうな神社。簡単に参拝して先を急ぐ。

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県道187号線はやや登り坂、しかも向かい風。電動アシストのパワーを全開にしてようやく蝉口に到着。法華寺はこの地にある。

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法華寺は以前に一度参拝したことがあるので、場所はすぐにわかった。12:20到着。

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法華寺は嘉吉3年(1443年)の創立。元は真言宗のお寺で、開基檀越明智氏が日蓮宗に改宗。

数度焼失して由緒記録等を失ったとのこと。

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お寺の参道石段のそばには越前町指定天然記念物の枝垂れ桜が...、桜の開花時期でないのが残念。

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お昼用にコンビニで買ったおにぎりを一ついただいて、すぐに出発。

来た道を戻って実相寺に向かいます。道路は緩やかな下り坂なので楽だった。

30分ほどで実相寺に到着。12:50。

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次は蓮蔵寺に向かう。184号線の山の中を川沿いに走る。

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25分ほどで蓮蔵寺に到着。

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長い石段の参道を登って本堂へ。

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蓮蔵寺は正徳3年(1713年)の創立。寺院の初めには澤田山多聞院と称し、その由来はかつて山城国伏見仙石澤田山に廃寺となっていた多聞院を移転したとのこと。

蓮蔵寺と称することにしたのは、慶応から明治初年の頃。

幸い本堂の戸が開いていた。

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県道3号線で帰路につく。

14:40帰宅。走行距離は50キロぐらいかな。バッテリー消耗率50%。

2022年4月28日 (木)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 4(鯖江市)

2022年4月28日 木曜日 快晴 9-21度

9時半出発。今日は鯖江市にある日蓮宗のお寺をサイクリングでお参りする。自転車は電動アシスト付きのパナソニック・ハリヤ。

鯖江市にある日蓮宗のお寺は3ヶ寺、右上の妙真寺、左上の妙法寺、左下の一乗寺。この順で訪問する予定。

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妙真寺は文殊山の南側麓の大正寺町にある。文殊山の北の方から県道208号線を利用するのが最短距離だが、トンネルがある。GoogleMapで見ると、トンネルはそんなに長くはないが、かなり暗いし自転車が走れるような歩道はない。走るのはよそう.....。

ということで、距離的には長くなるが、文殊山の南側から入ることにする。

旧国道8号線沿いの北陸道を利用。北陸道というと現代では高速道路の北陸自動車道のことを指すが、江戸時代の旧街道のことで北陸街道ともいう。道幅は狭いが、交通量は遥かに少ない。

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道中、今市あたりに荒井一里塚跡が立つ。

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福武線浅水駅でトイレ休憩。

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ここから田んぼ道を走って行くと、左手に文殊山が見えてきた。

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ナビで裏道優先を設定して、あちこち変なところを走らされたが、ようやく大正寺町の登山口の標識が見えた。そろそろお寺にも到着のはず。ここまで自宅から20キロぐらい走行。

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堂宇としては民家風だが、間違いなくお寺である。戸には鍵がかけられ、住職は常駐していないようだ。

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妙真寺は大正8年(1919年)の創立。

山号は「岩題目山」という興味深い名称なので調べたところ、永仁2年(1294年)に日蓮上人の孫の日像が能登加賀の巡錫を経て、文殊山の麓にある一丈九尺の岩石に題目を刻んだことに起因するとのこと。

その岩題目の写真をネットで見つけた。刻んであるという題目はよくわからないようだが...

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境内の石像は日像上人。

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お寺のそばには登山口が見える。

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続いて鯖江市神明にある妙法寺に向かう。鯖江市はツツジの町。

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妙真寺から約6キロほど走行。妙法寺は北陸街道(歴史の道)沿いに建つ。

妙法寺は、永仁2年(1294年)の創立。元は真言宗の寺で、南条郡神山村にあったものを日像の教化によって改宗し、元和6年(1620年)に日賢が現在地に移転し開基したとのこと。

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総門は京都妙覚寺から移転したということだ。

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歴史の道をさらに南下して、旭町にある一乗寺に向かう。

途中、歴史の道からそれてファミマでおにぎりとミンチカツで簡単に昼食。

4キロほど走行して、一乗寺に到着。

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一条寺は文化3年(1806年)の創建。住職は10代にわたって尼僧が務めら、現在の11代が男性で初めて住職になった。

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歴史の道を北上して帰路につく。

歴史の道の沿道にはお寺や神社がかなり多いが、八幡神社と泰澄神社だけ参拝する。

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2時半帰宅。走行距離48キロ。バッテリ消耗率40%。

2022年4月26日 (火)

足羽山サイクリングとウオーキング(2)

愛宕坂の展望台で一休みをした後、またウオーキングを続ける。

展望台を離れてすぐ右手に、足羽神社に通じる参道の石段がある。この石段は雨で濡れている時は滑るので要注意。

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足羽神社は、継体天皇が約1500年前に福井平野の大治水事業を行た折、その安全祈願のために創立され、即位のため越前を発つ時に自らの生御霊を祀ったとされている。

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境内のしだれ桜は樹齢380年とされ、春には多くの人が訪れる。

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境内にはいくつかの石碑も建っている。。。

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神社を出て右手へ、愛称「三軒茶屋」の方へ向かう。

現在ではあたらしやと中村屋の2軒しか営業していない。越前そばや足羽山名物の木の芽田楽などをいただくことができる。

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三軒茶屋茶屋を過ぎてすぐ、左手の石段を登って行くと自然史博物館に至る。

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今日は月曜日で休館。

右手の方へ歩いていくと、山頂古墳があり、その上には継体天皇の石像が建っている。

天皇の高恩に感謝し、その遺徳を忍んで建てられた。治水工事を行なった三国港を望んで北向きに立っている。

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古墳下の広場を降りると足羽山招魂神社に至る鳥居が見えてくる。


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この神社は福井出身将兵戦没者と旧福井藩主卒の霊を祀っている。

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神社の下まで降りて、左手の山道の方へ歩いて行く。


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日赤病院の病棟が見える。そしてほぼ完成した新幹線も。

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展望台で一休みして、さらに歩き続ける。

やがて仏舎利塔が見えてきます。

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仏舎利塔の横に日本山妙法寺というお寺がある。お寺には住職は常駐しないが、時々お世話をしている方がおられるようだ。

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さらに先を歩いていくとチョコレートカフェ日和。甘党の方には人気のカフェ。パンケーキも美味しいそうだ。まだ食べたことがない。

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やがて右手に植物園が見えてくる。

そして、左手には動物園。今日は月曜日で休園。

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この動物園は子供に人気があり、土曜日と日曜日にはここに至る道路に順番待ちの車の縦列ができるほどである。

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動物園の向かい側にあるこんもりした築山がある。大塚山古墳とう名称で、ここが足羽山の最高地点(116メートル)。

足羽山ウオーキングとしては、さらに500メートルほど先の弘法院太師堂のお寺まで歩き続けることも可能である。

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ここで出発点の愛宕坂登り口まで折り返します。

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約1時間半のウオーキング。最後に愛宕坂の登口のそばにある愛宕庵でおろしそばをいただいた。