2024年4月11日 (木)

南越前町 曹洞宗晋門山慈眼寺(じげんじ)参拝

2024年4月10日 水曜日 晴 3-16℃

福井県にある永平寺は曹洞宗の大本山として全国的に知られている。

他方、南越前町の小倉にある慈眼寺も同じく曹洞宗の寺院だがあまり知られていない。

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慈眼寺は、永平寺に並ぶもう一つの曹洞宗大本山総持寺(横浜市)の直末の寺院で、嘉慶元年(1387年)に天真自性禅師(てんしんじしょうぜんじ)によって開かれた。

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開山の天真自性禅師は弟子の育成に力を注いだので、優れた弟子が輩出した。

弟子たちは諸国に下って曹洞宗の教えを広め、慈眼寺の末山は1,200ケ寺となり、慈眼寺は天真派の根本道場として天下に玄風を振るった。

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歴代領主の保護も受けて寺運は益々隆盛を極め、盛時の慈眼寺は深山の霊境に七堂伽藍を備え、寺領内には塔頭17ケ寺を従えていた。

P4100637_original(本堂)

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御本尊は十一面観世菩薩。

本堂内に「豆柄臼」を祀っている。

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これには興味深い言い伝えが残る。

今から1200年ほど前に小倉谷に月叟寺(げっそうじ)というお寺を開いた谷口権兵衛の家族の話しである。

ある日、継母のタヤが実の娘に生豆を、継子のハナには炒豆を渡して山畑に撒いてくるように命じた。ところが、孝順の聞こえ高い継子を苦しめようとする継母の思いとは裏腹に、ハナの畑から一夜にして一茎双枝の豆の木が生え、たちまち大木となり東に向かう枝に七石、西に向かう枝に八石もの豆が実った。名残として、今も七石谷、八石谷の地名が小倉谷に残る。

「天道は善に福し、悪に禍するもの」と悟った継母は心を改めた。以来仲の良い家族として暮らしたということである。

この不思議な出来事を後世に伝えようと豆の木の根幹で搗臼(とううす)を作った。搗臼は月叟寺の宝物となり、後に天真自性禅師が慈眼寺を開くにあたって、禅師への贈り物として豆柄臼は受け継がれ、現在に至っている。

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宝永6年(1709年)と安政元年(1854年)の二度に渡る火災により、古記録及び七堂伽藍のほとんどを焼失したため、往古を詳しく知る術がない。

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本堂の西方庭園には、悩みや苦しみからお救いくださる福聚観音が祀られている。

(了)

2024年4月 1日 (月)

若狭小浜日蓮宗・法華宗寺院巡り

2024年3月30日 土曜日 晴 11-20℃

2024年3月31日 日曜日 曇 13-18℃

福井県小浜市のJR小浜駅からすぐ近くに日蓮宗寺院が3ヶ寺(長源寺浄行寺光全寺)、そして小浜駅の南西方向に妙興寺がある。

法華宗の寺院としては、本境寺本行寺本承寺がある。

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JR小浜駅から徒歩数分で長源寺の山門が見えてくる。

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長源寺の開山は日源上人。

上人が19歳の時、上洛の途中遠敷村を通りかかったところ、正護比丘尼という人に会い、この帰依を受けて康暦2年(1380年)後瀬山(のちせやま)の下に長源寺を開創した。

大永2年(1552年)に守護武田元光が後瀬山城築城の時に、長源寺の境内を居館とするため現在地に移転したと伝える。

江戸時代には小浜藩の藩主である酒井家の庇護を受け寺運は隆盛し、境内には様々な堂宇が建立された。

山門は貞享4年(1687年)に建立されたもので、下層部には仁王像、上層部には十六羅漢像を安置する。小浜市指定文化財である。

P3300539(山門内仁王像)

P3300540(山門内仁王像)

P3300541(山門より本堂を望む)

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P3300548(鬼子母神堂)

P3300550(前の本堂で使われていた鬼瓦)

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すぐそばというより、長源寺の境内の北東の隅にある浄行寺は、1424年(応永31年)の創立。開基は浄行院日宗が96歳の時、1461年(寛正2年)。

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光全寺も長源寺のすぐそばにある。1560年(永禄3年)、浄行院日信の開山。

昭和27年に円光院と安全院を合併して寺号を公称した。

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妙興寺は1294年(永仁2年)の創立。開山開基は日像。

元は禅宗であったが、日像の教化により改宗した。日像の四箇聖蹟の一つである(他は、越前市妙歓寺、南條町妙泰寺、敦賀市妙顕寺)。

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総門より境内に入ると、左右一対のお堂が建つのが目に入る。ユニークな境内構造である。

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堂内にはそれぞれ仁王像が安置されている。

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(本堂)

小浜では、妙興寺と長源寺が日蓮宗の古刹で、布教の拠点であった。

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これから法華宗の寺院を巡る。

本境寺は、永正元年(1504年)日真上人開山。中世小浜の廻船問屋の組屋と鼠屋(関戸氏)が大檀越となって創建された。

男鹿の豪族安東愛季の代官となった関戸氏がこの寺を宿所として北方の産物を都へ運び入れ、若狭守護職武田信豊へも戸館馬(青森産馬)を献上している。

応仁の乱の後に京都の本山の疎開寺院として考慮した山号(恵光山)が付けられており、法華宗文化財として貴重な仏画を蔵する。

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P3300584(三十番神宮)

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本行寺

本行寺は、慶長11年(1606年)、日顕によって創立。

もとは常楽寺といい、元和(1615-1623年)中期に本行寺に改称された。寛永5年(1628年)、竹原村から移転されている。

住職は常駐されていないようです。

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本承寺は、永享9年(1437年)日?によって創立。寛永7年(1730年)に欠脇町から移転された。

住職は在住されておられるようです。

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小浜駅前から、小浜市の北部へ向かうコミュニティーバス「あいあいバス」を利用し雲浜地区へ向かう、明神前下車。

この地区に日蓮宗寺院、源應寺がある。

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源應寺は元亀元年(1570年)の創立。開山は実相院日感。

日感は若狭国の領主武田氏七代信豊の二男で、武田氏の菩提を弔うため当寺を建立。

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翌日、小浜市の北部にある法華宗の2ヶ寺(円明寺海恵寺)を巡る。

これら2寺院を公共交通機関で巡ることは不可能で、自家用車を利用した。

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甲ケ崎地区には円明寺が建つ。P3310595

山門手前の題目塔には「海龍寺」の寺号が刻まれている???

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円明寺の由緒記によれば、正長元年(1428年)、この地区に本境寺の末寺として日祐上人(日蓮宗妙顕寺末寺)の開山による海龍寺があり、大永4年の再興後には12坊を有するほど栄えた。

しかし、元和4年に全焼し、その後3坊(明林坊・本乗坊・円明院)が造営された。その支院一つがこの円明寺である。

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堅海(かつみ)地区には、海恵寺がある。

海恵寺は弘治年間の創立。元は禅宗の寺院であったが、本境寺の大檀徒の組屋六良左衛門の時に、法華宗に改宗して、本境寺の末寺となった。

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番神堂と思われる。

(了)








2024年3月14日 (木)

高岡市内日蓮宗寺院&瑞龍寺巡り

平成6年3月14日 木曜日 晴時々曇り 3-15℃ 南南西5m

高岡市内に存する日蓮宗の寺院は下記で見るように、高岡駅の北部市街地に5ヶ寺。

そして、駅の反対側には、加賀藩2代藩主前田利長公の菩提寺である国宝瑞龍寺(曹洞宗)がある。

この6ヶ寺を巡ることにする。

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福井駅8:40発。高岡駅までは、JR普通電車などを利用して約2時間半。

高岡駅前で「COGICOGI」 という電動レンタサイクルを利用した。レンタル料は6時間で1540円。

高岡駅前からまず立像寺まで行き、順次南下しながら各寺院を参拝し、最後に妙国寺を参拝した。

市街地の道は狭く、また一方通行も多く、自転車で巡ることは最適であることを実感した。

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立像寺

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立像寺は天文10年(1541年)の創立(慶長2年とも)。開山は蓮蔵院日治。

もと石川県松任にあったが、慶長3年に高岡城下に移転。

慶長16年に前田利長の息女連成院殿妙流大姉菩提供養のため寺禄10石を授与される。

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妙伝寺

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妙伝寺は応仁元年(1476年)の創立。開山は大覚院日教上人(富山市妙傳寺と同じ)。

天正12年には射水郡守山村にあったが、慶長年間に高岡城主前田利長より現在地を拝領して、守山村より現地に移転した。

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法光寺

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法光寺は天正12年(1584年)の創立。開山は了覚院日養、開基壇越は三輪法寿。

最初は二上山郊外守山城に建立された。高岡城築城に際し、城主より寺領を拝領して現在地に移転した。

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能登大地震で倒壊したものと思われる。

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大法寺

大法寺は享徳3年(1453年)、京都大本山本圀寺9世日暁聖人の弟子日能聖人が、越中国開教の命を受け、射水郡宝生津(現在の新湊市)の地に本圀寺布教所として開創された寺院である。

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開創当初は常安寺と称していたが、当山第9世立正院日鋭聖人が自ら本圀寺へ登山して、改めて大法寺の寺号を授与され、寺運も隆盛した。

江戸時代には富山大法寺と共に越中の法華宗の要となり、本圀寺より永代聖蹟の寺格が認められた。

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妙国寺

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妙国寺の開山は信命院日全、開基は信静院日給。

創立は永録4年(1561年)、または慶長3年5月とも。

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妙国寺の参拝を終えて、駅の反対側の瑞龍院に向かう。

瑞龍寺は、曹洞宗寺院で、加賀二代藩主前田利長公の菩提を弔うために、三代藩主利常公によって建立された寺である。

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山門、仏殿、法堂は国宝に指定されている。総門、禅堂、大庫裏、回廊などは国の重要文化財に指定されている。

P3140508_2(総門)

P3140509_2(山門)

P3140512_2(山門 金剛力士像)

P3140513(山門から仏殿を望む)

P3140515_2(仏殿)

Photo_2(仏殿 パンフレットより)

御本尊は釈迦、文殊、普賢の三尊を祀る。

P3140531(法堂)

P3140519_2(石廟)

石廟には前田利長、利家、織田信長、織田信長公側室、織田信忠の分骨が奉納されている。なお石材は福井越前の笏谷石である。

P3140520(前田利長公石廟)

壁面には二十五菩薩が刻まれている。

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2時半の電車で福井駅に戻った。

2024年3月 9日 (土)

富山市内日蓮宗寺院巡り

2024年3月7日 木曜日 晴・曇 2-7℃ 北北東5m

この時期に発売された「北陸おでかけtabiwaパス」という北陸エリア一日乗り放題のフリー切符(980円)を利用して富山市へ向かった。

福井駅9:21発のJR電車で金沢へ行き、金沢駅から「あいの風とやま鉄道」に乗り換えて、12:04富山駅に到着。

富山駅前から市内電車を利用して、広貫堂前まで行く。運賃は210円で、ICOCAが利用できる。

市内にある日蓮宗のお寺は地図で見るように梅沢地区に10ヶ寺が群集している。

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江戸時代には富山城下南面の防備のため、約60の寺院を集めて寺町を形成したが、その後明治3年の廃仏毀釈に先駆けて富山藩は合寺令(ごうじれい)を公布して、藩内205の寺院を七宗七寺に統合した。

これにより、寺院は打ち壊され荒れ果ててしまったが、翌年の廃藩置県の後に寺院復興運動が盛んになり、少しずつ寺院が集まり出した。

しかし、大二次世界大戦の空襲で再び壊滅、戦後になって復興はしたものの、往時の面影はなくなってしまった。

現在は鉄筋コンクリート製の寺院が多く建ち、当時の風情は感じられないという。

寺院が群集する梅沢地区の南西端にある乗光寺から参拝を開始し、反時計回りに巡って行くことにする。

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乗光寺

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乗光寺の開山は正覚院日條上人で、福井県越前の上木氏の出である。加賀藩三代前田利常公の実母福寿院の甥にあたる。

創立は慶安2年(1649年)。利常公の母である福寿院は熱心な法華信者であり、この援助により羽咋市にあった他宗派の常光寺を改宗・改称し、現在の地に移し、富山藩十万石分封に伴う藩士の菩提寺として建立された。

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立像寺

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立像寺は永禄元年(1558年)3月18日の創立。開山は蓮蔵院日治。

加賀藩主前田利家の帰依により永禄年中に加賀越中両国に三立像寺が建立され、その一寺である。

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大法寺

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大法寺は慶長十一年(1606年)4月8日、照盛院日行上人が開基とされる。

富山藩第二代藩主、前田正甫(まさとし)公が当山第8世一龍院日徳上人の教化を受けて篤く法華経を信じ、日蓮宗に帰依して本寺を前田家の菩提寺と定めた。

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大法寺の一画に菅神祠(カンジンシ)が立つ。

富山藩前田家の祖神である菅原道真公(天神様)を祀るために富山藩の細工人に作らせ、その中に天神様を安置して富山城内に置き、朝夕お参りしていた。

昭和34年に大法寺に寄進された。

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妙傳寺

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妙傳寺の開山は、応仁元年(1467年)。

応仁の乱により京都に見切りをつけた京都本圀寺の僧、大覚院日教上人が布教のため越中に赴き、陀羅尼寺村(現富山市上栄)の真言宗の一寺の住職を教化して法華経に入信させ改宗させたのが本寺の興りである。

現在の本堂は平成16年に改修された。

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法華寺

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法華寺は、寛文4年(1664年)の創立、開基は華成院日俊。

最初は長演山法華寺と称したが、寛文4年に日妙山に改称した。

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長清寺

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長清寺は寛永元年(1624年)の創立。開山は実教院日解上人。

富山に加賀藩の支藩が設置されると、北陸一円で強盛を誇っていた龍谷妙成寺より日解上人が布教のため守護神である八幡宮を護持して派遣され、根拠地を神通川のほとりに置いた。

山号を地名神通川に即して神通山と称して多くの帰依者を得た。江戸後期に現地に移転。

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利生寺

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利生寺は、宝永2年(1705年)の創立。開山は驚夢院日帰大徳。開基檀越は富山藩主二代目の前田俊甫。

開山以来、利生院と呼ばれていたが、終戦後、現在の利生寺と改称された。

富山藩より寺領と丁字梅鉢の定紋を拝領し、前田家歴代の祈願所とされた。

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妙国寺

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妙国寺は、寛永8年(1631年)の創立(文禄4年4月8日とも)。開山は信命院日全。

寛永元年の頃より日全は錫を進め、金沢、高岡、富山に妙國寺を創立した。神通川で水行の苦行を行い、命終の時には当国主に生まれ変わり妙法を宣布せんと誓い、37日の満願の日に水中に没したという。

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本證寺

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本證寺は、永正年間(1504年)正持院日勝上人の開山。

元は真言宗の寺院であったが、京都本圀寺14代日助上人が北陸順錫の折、問答を挑んだが、逆に説破され改宗した。

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本顕寺

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本顕寺は文明18年3月10日の創立。開山は一如院日卯。

現在、本堂のような堂宇は見当たらない。

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無事、10ケ寺の参拝を終え、同じく市内電車で富山駅に向かい、遅めの昼食(ホタルイカの天丼)をいただいて帰路についた。

2024年1月31日 (水)

日蓮宗寺院を交通機関で巡る(越前市南部 王子保・中平吹町)

2024年1月31日 水曜日 曇り 1〜10℃ 

福井県内には日蓮宗寺院が80ヶ寺あり、全寺院巡り(当時は81ケ寺)の一巡目は自家用自動車を利用し、二巡目は自転車を利用して嶺北地方の60ヶ寺を巡った(本ブログにて紹介)。

今回、三巡目は交通機関を利用して巡ることにした。

福井県の公共交通機関は、徐々に規模が縮小されたり、廃線を余儀なくされている。

出発は自宅がある福井市の田原町駅。はたしてどの程度可能であろうか?

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越前市南部の王子保地区は古代から都と北陸を結ぶ交通の要衝で、地区の中央部には旧街道「北陸道」が通る。

主要道路が通っていたため、様々な人が往来した足跡や当時の文化が地区の歴史に刻まれている。

王子保地区の今宿町には妙勧寺と、中平吹町には掟光寺がある。どちらのお寺にも興味深い歴史が残っている。

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利用する交通機関は、福井鉄道福武線で「田原町」から「たけふ新駅」まで行き、JRに乗り換えて「王子保駅」まで行く。

◯(福井鉄道福武線)田原町(発)10:14 ⇨ たけふ新(着)11:26  

たけふ新駅からJR武生駅まで徒歩5分。

◯(JR北陸線)武生(発)12:33 ⇨ 王子保(着)12:37 

王子保駅で電車を降り、妙勧寺まで徒歩7分。

P1310413(総門)

P1310414_2(山門)

妙勧寺は、順徳天皇御霊代の水無瀬神宮遷座の途上、奉安所となった。 日像が京都に向かう途中、この地の住民の請いで祈祷し病疫を収めた。住民あげて改宗し、弟子の妙文が寺院を創建した。


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妙勧寺は日像菩薩の「四箇聖跡」の一つである。ちなみに、他の三寺院は、妙泰寺(南越前町)、妙顕寺(敦賀市)、妙興寺(小浜市)。

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何の建物か不明ですが、この時期によく見かけるように、堂前に水行用と思われる水樽が置いてありました。

本堂の左隣に日吉神社。

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参拝後、市民バス「のろっさ」(王子保・南ルート)に乗るため、王子保公民館バス停まで歩く(徒歩4分)。(*このバス便は月曜日と木曜日に運行されている。)

バスは東の方へ平吹町に向かい、中平吹町バス停でバスを降りる。

◯(のろっさ)王子保公民館(発)13:51 ⇨ 中平吹町(着)13:54。

ここから掟光寺まで徒歩7分。

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掟光寺は元は真言宗のお寺で日野山の中腹にあった。1573年、真言宗の僧雑明(ぞうみょう)の時、中平吹町の三田村七エ右衛門家より出家した千如院日栄上人との法論問答の結果、日蓮宗に改宗することになった。

ちょうどこの頃、1572年まで佐々布光林坊一族が居城している平吹城があったが、一向一揆の軍勢により焼き討ちに遭い焼失した。

そこで光林坊と縁者であった千如院日栄上人がこの地に寺地を移し、雑明山浄光寺と号して千如院日栄上人を開基開山としたのが始まりである。

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お城の跡地に建てたため、境内には土塁や庭園がのこり当時の面影をしのぶことができる。

1598年の太閤検地の時、役人が長期滞在した折、そのお礼として寺院ゆかりの光林坊掟運、掟俊の「掟」の字と光林坊の「光」の字を取り「掟光寺」と改めた。当時「掟」の字は、一般に使用禁止で御法度であったにも拘らず、検地役人に使用を特別に許された。

「掟光寺」という名称は日本中で唯一この寺だけが有する寺号である。

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参拝後、再び徒歩で中平吹町バス停へ戻り、同じ「のろっさ」でたけふ新駅まで戻る。

◯(のろっさ)中平吹町(発)15:04 ⇨ たけふ新(着)15:24。

◯(福井鉄道福武線)たけふ新(発)15:32 ⇨ 田原町(着)16:20

2024年1月28日 (日)

日蓮宗寺院を交通機関で巡る(福井鉄道福武線沿線)

2024年1月9日 火曜日 快晴のち曇り 気温0-8℃

福井県内には日蓮宗寺院が80ヶ寺あり、全寺院巡り(当時は81ケ寺)の一巡目は自家用自動車を利用し、二巡目は自転車を利用して嶺北地方の60ヶ寺を巡った(本ブログにて紹介)。

今回、三巡目を開始するにあたって、できるだけ交通機関を利用して巡ることにした。

福井県の公共交通機関は徐々に規模が縮小されたり、廃線を余儀なくされている。

福井市(福井駅 or 田原町駅)を起点として、果たして、どの程度可能であろうか?

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今日はその第一日目である。

手始めと言う事で、比較的便利な福井鉄道の福武線を利用し、その沿線にある寺院を参拝することにした。

福武線は福井市と越前市(旧武生市)間を南北に走る路線である。

沿線にある日蓮宗寺院は、鯖江市の神明駅の近くにある妙法寺、越前市の家久駅の近くにある聞法寺(もんぽうじ)である。そして旧武生市街地には7ヶ寺が群集している(各寺院の縁起等の詳細は、同ブログ「日蓮宗お寺巡りサイクリング 9(越前市A)」を参照)。

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利用した交通機関とその時刻は下記の通り。

◯ 10:14 田原町駅(発) ⇨ 🚃 ⇨ 11:06 神明駅(着) ⇨🚶‍♂️⇨ 妙法寺へ徒歩6分。

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◯ 福井鉄道福武線 11:36 神明駅(発) ⇨ 🚃 ⇨ 11:50 家久駅(着) ⇨🚶‍♂️⇨ 聞法寺へ徒歩3分。

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◯ 12:20 家久駅(発) ⇨ 🚃 ⇨ 12:24 たけふ新駅(着) ⇨🚶‍♂️⇨ 市街地7ヶ寺(妙國寺、栄久寺、経王寺、妙唱寺、妙高寺、妙智寺、本行寺巡り所要時間2時間。

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*以下各寺院の写真を掲載するが、この日のカメラの調子が悪くなったため、妙唱寺の他は後日(2024年1月27日)に再参拝して撮影したものである。

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P1270398(妙國寺)

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P1270399(栄久寺)

P1270400(栄久寺)

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P1270381(経王寺)

P1270382(経王寺)

P1270383(経王寺)

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P1270386(妙高寺)

P1270387(妙高寺)

P1270388(妙高寺)

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P1270390(妙智寺)

P1270391(妙智寺)

P1270393(妙智寺)

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P1270394(本行寺)

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なお、蓮尚寺は2022年に残念ながら廃寺となり、山門だけを残してその跡地は駐車場となっている。

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昼食はたけふ新駅に戻る途中、「こいさん」にて遅めの昼食をとった。

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(たけふ新駅)

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◯ 15:45 たけふ新(発) ⇨ 🚃 ⇨ 16:55 田原町駅(着)。

時折冷たい風が吹く事があったが、比較的好天気に恵まれた新年の寺院巡りであった。

2024年1月17日 (水)

日蓮宗寺院を交通機関で巡る(越前市東部・高木町)

2024年1月17日 水曜日 晴のち曇り -2〜8℃

福井県内には日蓮宗寺院が80ヶ寺あり、全寺院巡り(当時は81ケ寺)の一巡目は自家用自動車を利用し、二巡目は自転車を利用して嶺北地方の60ヶ寺を巡った(本ブログにて紹介)。

今回、三巡目は交通機関を利用して巡ることにした。

福井県の公共交通機関は徐々に規模が縮小されたり、廃線を余儀なくされている。

果たして、どの程度可能であろうか?

・・・

越前市東部郊外の高木町近辺には、次の四ヶ寺がある。泉久寺信行寺妙稲寺一乗寺

この地区に行く交通機関は、越前市の市民バス(コミュニティーバス)の「のろっさ」を利用することができる。

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「のろっさ」の高木・北日野線の高木行きは、武生駅前と高木町公民館前の間を運行し、目標の四ヶ寺の近くを都合よく走行している。

しかし、便の数は往路2便、復路2便だけで、実際には日中の往路と復路それぞれ1便しか利用できない。この便は同じバスが折り返すわけだが、その間1時間しかない。都合よく利用できるであろうか。

なお、各寺院の縁起等に関しては、本ブログ「日蓮宗お寺巡りサイクリング 6 (越前市B)」参照。

いつものように、福井鉄道の福武線を利用して「田原町」から「たけふ新」まで行く。たけふ新駅の前の広場に市民バスの発着駅がある。

◯ 10:24 田原町(発)⇨ 福武線 🚃 ⇨ たけふ新(着)11:26。

◯ 11:32 たけふ新駅前(発)⇨ のろっさ 🚌 ⇨ 高木町、高木公民館前(着)11:56

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公民館前でバスを降りて少し歩くと、泉久寺の大きな屋根が見えてきた。

12:05 泉久寺着。

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ここから5、6分間ほど南の方に歩いて、信行寺に着く。

12:12  信行寺着。

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次に行くのは妙稲寺でも一乗寺であっても、20〜30分間ほど歩くことになる。

乗ってきたバスは折り返して、たけふ新駅に戻るわけだが、その出発時刻は 12:58である。まだ30分ほどあるが、二ヶ寺とも参拝するにはかなり無理がありそうだ。

今回はこれまでの二ヶ寺だけにして、バスを降りた公民館まで戻ってたけふ新駅に帰るか、あるいは他のどちらかの一ヶ寺だけを参拝するべきか迷った。

結局、時間があるので、妙稲寺まで歩き、参拝後にその近くの「稲寄バス停」で帰りのバスに乗ることを考えた。

20分間ほど歩いて妙稲寺に着いた。日差しを受けて少し汗ばむほどであった。

12:30 妙稲寺着。

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妙稲寺から一乗寺までは約2km。急いで行けば、一乗寺の参拝をしてから、寺の近くのバス停(塚町南)で帰りのバスに乗れる可能性があるかもしれない。

やはり今回の参拝はあきらめて、徒歩で福鉄電車の駅(スポーツ公園)まで行き、帰路に就くことにした。

12:55 スポーツ公園駅着。

◯ 13:19 スポーツ公園(発)⇨ 福武線 🚃 ⇨ 14:05 福井駅前着。

福井駅前にある居酒屋風の食堂で遅い昼食をしてから帰宅した。

2024年1月15日 (月)

日蓮宗寺院を交通機関で巡る(越前鉄道・勝山永平寺線)

2024年1月14日 日曜日 晴 -2〜11℃

福井県内には日蓮宗寺院が80ヶ寺あり、全寺院巡り(当時は81ケ寺)の一巡目は自家用自動車を利用し、二巡目は自転車を利用して嶺北地方の60ヶ寺を巡った(本ブログにて紹介)。

今回、三巡目をできるだけ交通機関を利用して巡ることにした。

福井県の公共交通機関は徐々に規模が縮小されたり、廃線を余儀なくされている。

出発は自宅がある福井市の福井駅か田原町駅。果たして、どの程度可能であろうか?

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本日の予定は、越前鉄道・勝山永平寺線沿線にある日蓮宗の寺院を参拝する。なお、各寺院の縁起等に関しては、本ブログ「日蓮宗お寺巡りサイクリング2(永平寺)」「日蓮宗お寺巡りサイクリング11(勝山)」を参照)。

土曜日・日曜日に発売される「一日フリーきっぷ」(1000円)を利用すると実運賃より半分以上安くなる。

今日は田原町駅から出発。

09:51 田原町駅発 ⇨ 09:57 福井口乗り換え ⇨ 🚃 ⇨ 10:50 勝山駅着。

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勝山には大蓮寺がある。

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大蓮寺に行くには、勝山駅前からコミュニティバスに乗って、沢町まで行くのがよいが、次の便のバス(「ぐるりん中部方面線」 11:53発)までかなり時間があるので、約1.5kmを歩くことにする。このバスはいずれにしても便数が少ないので、寺までの往路のうちどちらかが徒歩になる。

大蓮寺の近くには臨済宗のお寺、開善寺があるので参拝する。

開善寺は、1691年(元禄4年)越前勝山藩に小笠原貞信が移封された時に建立された。

境内には小笠貞信から小笠長守までの歴代越前藩主及びその家族の墓があり、勝山市の文化財に指定されている。

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11:20 大蓮寺着。

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大蓮寺の向かいに福井の名酒「一本義」を醸造する久保酒造がある。

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再び勝山駅まで徒歩で本町通りを通って戻る。

P1140341(本町通り)

街並みの景観を損ねないように保存ししているのは英国と似ている。

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11:49 勝山駅発 ⇨ 🚃 ⇨ 12:07 山王駅着。

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山王には慶妙寺がある。

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12:15 慶妙寺着。

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慶妙寺は三度目の参拝だが、寺から離れたところに「題目塔」があることに今回初めて気づいた。

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12:37 山王駅発 ⇨ 🚃 ⇨ 12:45 光明寺駅着。 

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光明寺には、浄妙寺がある。

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12:50 浄妙寺着。

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近くに白山神社がある。

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13:15 光明寺駅発 ⇨ 🚃 ⇨ 13:25 松岡駅着。

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13:30 昼食を駅の隣にある蕎麦店「毘沙門」にて天ぷら蕎麦を食べる。

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松岡には、正龍寺と圓壽寺がある。

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まず、駅の近くの正龍寺まで歩く。

14:00 正龍寺着。

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さて、えちぜん鉄道勝山線沿線の寺院巡りの最後の寺院となる圓寿寺までは、九頭川にかかる五松橋を渡って北へ約1.5km。

松岡駅前からバス(福井大学病院行)で上合月まで行く方法があるが、本日は日曜日のため便数がかなり少ない。平日には京福バス「大学病院松岡線」の便を利用することができる。

徒歩で行くことも考えたが、既にこれまで1万歩を歩いているため、今回の寺の訪問は諦めて帰路についた。

14:25 松岡駅発 ⇨ 福井口乗換 ⇨ 🚃 ⇨ 田原町駅(着)。

今日は天気がとてもよかったが、朝方の気温は0度近くの気温で、道路に薄く積もった雪が凍っていたため歩く時には滑ることも何度かあった。午後になるにつれて、晴天のもとで雪も溶け、快適な寺院巡りであった。

 

2024年1月11日 (木)

日蓮宗寺院を交通機関で巡る(敦賀市街地)

2024年1月11日 木曜日 晴 -1〜10℃

福井県内には日蓮宗寺院が80ヶ寺あり、全寺院巡り(当時は81ケ寺)の一巡目は自家用自動車を利用し、二巡目は自転車を利用して嶺北地方の60ヶ寺を巡った(本ブログにて紹介)。

今回、三巡目を開始するにあたって、できるだけ交通機関を利用して巡ることにした。

福井県の電車やバスなどの公共交通機関は、自家用車の普及に伴い徐々に規模が縮小されたり、廃線を余儀なくされている。

出発は自宅がある福井市の福井駅。果たして、どの程度可能であろうか?

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さて本日は、JR北陸線を利用して、敦賀市街地にある日蓮宗と法華宗の寺院を巡る。

福井駅発 10:11 の電車に乗り、11:03 に敦賀駅に着く。

敦賀の市街地には日蓮宗寺院が2ケ寺、法華宗の寺院が3ケ寺あり、この5ヶ寺を巡る予定。

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敦賀駅から寺院のある地区まで徒歩で行けないこともないが、たまたま駅前に気比神宮へ行く乗合バスがあり利用する。

11:20 敦賀駅前(発) ⇨ 🚌 ⇨ 11:25 気比神宮(着)。

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(気比神宮)

気比神宮の前でバスを降り、妙顕寺へ向かう。徒歩10分で到着。

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妙顕寺の創建は、天長2年(825年)、藤原武智麻呂が氣比神宮の別当寺として気比神宮寺として建立。当時は「春鷲山氣比神宮寺」を号していた。

その後、1294年に日蓮聖人の孫弟子である日像上人が京都に上がる途中で、当寺にて時の住持の覚円と法論を交わして、その知識に感服し妙顕寺として改宗した。

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歴史上では、戦国時代、織田信長の朝倉氏金ケ城攻めの際に本寺で本陣を張ったことでも知られる。

なお、現在の寺観は平成26年の「妙顕寺寺観整備事業」により完成した。

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続いて、法華宗の圓隆寺と本妙寺へ。

円隆寺は、1615年圓隆院日證によって開山された。立派な山門は残るが、本堂らしき堂宇は建っていない。

P1110314_3(圓隆寺)

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続いて、本妙寺へ。

P1110315(本妙寺)

本妙寺は、元は京都妙蓮寺末の東国触頭だった。永和2年(1376年)に日敬が創建。妙蓮寺日忠(1438-1503)が妙蓮寺末にした。

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水戸天狗党が降伏直後に収容された3ヶ寺のうちの1ケ寺で、武田耕雲斎の次男の魁介ら346名が収容されていたという。

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続いて、本勝寺へ向かうが、途中に「南無妙法蓮華経」の題目塔が立つお寺がある。はて???

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「長遠寺」という寺号。下調べでは日蓮宗でも法華宗の寺院でもないはず。

たまたまご住職が外におられ、宗派をお尋ねすると、どの宗派にも属さない単立寺院だという。それ以上お話を伺うことはせず、お参りだけさせていただいた。

後で調べて知ったのだが、長遠寺でも天狗党の90名が収容されていた。


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本勝寺は、弘仁元年(810年)創建の真言宗の寺院だったが、応永33年(1426年)日隆が法華宗に改宗した。

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本勝寺にも水戸天狗党が収容された。境内にはその慰霊薹が立つ。

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最後に大乗寺へ。

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大乗寺の開山は円乗院日善。縁起等に関しては情報がなく不詳。

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こじんまりとしたお寺である。

小一時間で目的の5ヶ寺巡りを無事終え、丸仁という蕎麦屋で昼食を食べて13:37発のJR電車に乗り、14:30に福井へ戻った。

天気も良く寒くなく、快適な寺院巡りであった。

2022年11月22日 (火)

曹洞宗お寺巡りサイクリング 22(東郷地区の寺院など)

2022年11月21日 月曜日 晴 10-18℃

11月に入って、ここ数日前までは気温が低い日が続き、サイクリングに出かける気にはなれなかったが、本日は久しぶりに北風も弱く(南東の風)穏やかな日である。

福井の市街地から南東へ10kmほど、足羽川左岸に位置する東郷地区までサイクリングに出かける。この地には曹洞宗の寺院が三ヶ寺存在する。

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福井市からは足羽川左岸河原のサイクリングロード(一部一般道路)を南東に向かって稲津橋まで走り、ここで右手に外れて県道25号に入るが、すぐに左手の田んぼ道(農道)を走る。

東郷中島町、下毘沙門町の集落を経て、東郷ニケ町・安原町へと入って行く。

まずはJR越美北線の越前東郷駅に到着。無人駅だ。公衆トイレを利用させていただく。

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越前東郷駅から南に100mほど進むと、堂田川と名付けられた水量豊かな流れがあり、その両岸に家並が連なる独特の町並景観が展開している。

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中世には朝倉氏が本拠とする土地であったが、同氏の滅亡後16世紀後半に東郷に入部した長谷川氏がここに城下町を整備したとされる。

東郷城の城下町として町も発達したが、長谷川氏の後に入城した丹羽氏が関ヶ原の役に際し西軍に属したため廃城となったが、以後も城下町としての基盤があったために在郷町として存続することとなった。

大野街道と東郷街道という二つの街道が交差することもあり、宿場町としても栄えたという。

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この町並を特徴付ける水路は足羽川から引かれた疏水である。農業用水というが中世より町場の中を貫いていたといい、生活用水としても使われていたという。道路(県道180号)も左右岸での一方通行となっているのも珍しい。

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一度は汚染されたというこの流れも近年になり整備されたお蔭で、清らかな親水空間として貴重なものとなっている。

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伝統的な建物はそれほど多くないものの、所々商家を思わせる建物や土蔵が見られ、城下町以来の歴史に根ざした町であることを感じさせる。

造り酒屋も現役で残り、在郷町としての賑わいを今に伝えている。上の写真は毛利酒造。他に2軒の蔵元がある。

東郷地区の見所は歴史的な街並みだが、寺院を訪問するのを忘れてはならない。

駅から南方へ行くと堂田川に行くまでの左手に照恩寺がある。今回は曹洞宗寺院巡りが目的であるが、ちょっとユニークな照恩寺もお参りする。

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照恩寺は浄土真宗の寺院。

吉崎から蓮如聖人が去られた際に、朝倉敏景の命を受けて吉崎御坊を移転する形で一乗谷に建立されたのが始まり。

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朝倉氏滅亡の後東郷へ移転したが、後に北ノ荘に越前中心が移ってからは御坊としての役割は現在の福井別院に移行されている。

現在は、テクノ法要や寺カフェなど、伝統を伝えるための新たな発信をしている。

これからは曹洞宗の寺院巡りへ。まず地蔵院へ。

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延喜12年(912年)頃に、醍醐天皇が家臣の藤原利仁に勅命で、京都梅宮神社の神護一体を東郷槇山山頂へ鎮座させた庵を、988年の一条天皇訓令で中腹へ移したのが開基とされている。

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本堂内をお参りすることはできなかったが、本尊の観音様は子安観音として信仰され、2月、7月の縁日には子授け祈願やお礼のお参りに来られる人がいるとのこと。

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境内には稲荷神社が祀られる。

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さらに、河濯(かわそ)堂。このお堂には、河濯・戸隠・秋葉権現が祀られている。

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続いて、霊泉寺へ。

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霊泉寺の開山は、明応7年(1498年)、越渓の弟子の雷沢宗俊(らいたくそうさ)で、大和尚が篠尾に開いた武芸道場がその起源と伝わる。

長谷川秀一が霊泉寺第4代の全積和尚に帰依したことにより、現在地へと移された。

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境内には長谷川秀一の墓が祀られる。

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最後に永昌寺へ。

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永昌寺は、一乗谷初代、朝倉孝景の創建と伝えらる。

東松山永昌寺という寺の名称は、孝景戒名(東松院秋葉宗滴居士)とその妻戒名(桂室永昌大姉)の法号に由来するとされている。

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朝倉氏滅亡後、東郷城主長谷川秀一の菩提寺となった。

地区の人は下寺(しもでら)と言う。

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目的の寺院巡りを終え、どこかでお昼ごはんを食べようとも思ったが、猫の子一匹見つけられないほど静かな街で、コンビニさえもない。仕方ないので福井まで戻ることにする。

走行距離20km。