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2024年1月31日 (水)

日蓮宗寺院を交通機関で巡る(越前市南部 王子保・中平吹町)

2024年1月31日 水曜日 曇り 1〜10℃ 

福井県内には日蓮宗寺院が80ヶ寺あり、全寺院巡り(当時は81ケ寺)の一巡目は自家用自動車を利用し、二巡目は自転車を利用して嶺北地方の60ヶ寺を巡った(本ブログにて紹介)。

今回、三巡目は交通機関を利用して巡ることにした。

福井県の公共交通機関は、徐々に規模が縮小されたり、廃線を余儀なくされている。

出発は自宅がある福井市の田原町駅。はたしてどの程度可能であろうか?

・・・

越前市南部の王子保地区は古代から都と北陸を結ぶ交通の要衝で、地区の中央部には旧街道「北陸道」が通る。

主要道路が通っていたため、様々な人が往来した足跡や当時の文化が地区の歴史に刻まれている。

王子保地区の今宿町には妙勧寺と、中平吹町には掟光寺がある。どちらのお寺にも興味深い歴史が残っている。

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利用する交通機関は、福井鉄道福武線で「田原町」から「たけふ新駅」まで行き、JRに乗り換えて「王子保駅」まで行く。

◯(福井鉄道福武線)田原町(発)10:14 ⇨ たけふ新(着)11:26  

たけふ新駅からJR武生駅まで徒歩5分。

◯(JR北陸線)武生(発)12:33 ⇨ 王子保(着)12:37 

王子保駅で電車を降り、妙勧寺まで徒歩7分。

P1310413(総門)

P1310414_2(山門)

妙勧寺は、順徳天皇御霊代の水無瀬神宮遷座の途上、奉安所となった。 日像が京都に向かう途中、この地の住民の請いで祈祷し病疫を収めた。住民あげて改宗し、弟子の妙文が寺院を創建した。


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妙勧寺は日像菩薩の「四箇聖跡」の一つである。ちなみに、他の三寺院は、妙泰寺(南越前町)、妙顕寺(敦賀市)、妙興寺(小浜市)。

P1310416_2(本堂)

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何の建物か不明ですが、この時期によく見かけるように、堂前に水行用と思われる水樽が置いてありました。

本堂の左隣に日吉神社。

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参拝後、市民バス「のろっさ」(王子保・南ルート)に乗るため、王子保公民館バス停まで歩く(徒歩4分)。(*このバス便は月曜日と木曜日に運行されている。)

バスは東の方へ平吹町に向かい、中平吹町バス停でバスを降りる。

◯(のろっさ)王子保公民館(発)13:51 ⇨ 中平吹町(着)13:54。

ここから掟光寺まで徒歩7分。

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掟光寺は元は真言宗のお寺で日野山の中腹にあった。1573年、真言宗の僧雑明(ぞうみょう)の時、中平吹町の三田村七エ右衛門家より出家した千如院日栄上人との法論問答の結果、日蓮宗に改宗することになった。

ちょうどこの頃、1572年まで佐々布光林坊一族が居城している平吹城があったが、一向一揆の軍勢により焼き討ちに遭い焼失した。

そこで光林坊と縁者であった千如院日栄上人がこの地に寺地を移し、雑明山浄光寺と号して千如院日栄上人を開基開山としたのが始まりである。

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お城の跡地に建てたため、境内には土塁や庭園がのこり当時の面影をしのぶことができる。

1598年の太閤検地の時、役人が長期滞在した折、そのお礼として寺院ゆかりの光林坊掟運、掟俊の「掟」の字と光林坊の「光」の字を取り「掟光寺」と改めた。当時「掟」の字は、一般に使用禁止で御法度であったにも拘らず、検地役人に使用を特別に許された。

「掟光寺」という名称は日本中で唯一この寺だけが有する寺号である。

・・・

参拝後、再び徒歩で中平吹町バス停へ戻り、同じ「のろっさ」でたけふ新駅まで戻る。

◯(のろっさ)中平吹町(発)15:04 ⇨ たけふ新(着)15:24。

◯(福井鉄道福武線)たけふ新(発)15:32 ⇨ 田原町(着)16:20

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