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2024年4月11日 (木)

南越前町 曹洞宗晋門山慈眼寺(じげんじ)参拝

2024年4月10日 水曜日 晴 3-16℃

福井県にある永平寺は曹洞宗の大本山として全国的に知られている。

他方、南越前町の小倉にある慈眼寺も同じく曹洞宗の寺院だがあまり知られていない。

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慈眼寺は、永平寺に並ぶもう一つの曹洞宗大本山総持寺(横浜市)の直末の寺院で、嘉慶元年(1387年)に天真自性禅師(てんしんじしょうぜんじ)によって開かれた。

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開山の天真自性禅師は弟子の育成に力を注いだので、優れた弟子が輩出した。

弟子たちは諸国に下って曹洞宗の教えを広め、慈眼寺の末山は1,200ケ寺となり、慈眼寺は天真派の根本道場として天下に玄風を振るった。

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歴代領主の保護も受けて寺運は益々隆盛を極め、盛時の慈眼寺は深山の霊境に七堂伽藍を備え、寺領内には塔頭17ケ寺を従えていた。

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御本尊は十一面観世菩薩。

本堂内に「豆柄臼」を祀っている。

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これには興味深い言い伝えが残る。

今から1200年ほど前に小倉谷に月叟寺(げっそうじ)というお寺を開いた谷口権兵衛の家族の話しである。

ある日、継母のタヤが実の娘に生豆を、継子のハナには炒豆を渡して山畑に撒いてくるように命じた。ところが、孝順の聞こえ高い継子を苦しめようとする継母の思いとは裏腹に、ハナの畑から一夜にして一茎双枝の豆の木が生え、たちまち大木となり東に向かう枝に七石、西に向かう枝に八石もの豆が実った。名残として、今も七石谷、八石谷の地名が小倉谷に残る。

「天道は善に福し、悪に禍するもの」と悟った継母は心を改めた。以来仲の良い家族として暮らしたということである。

この不思議な出来事を後世に伝えようと豆の木の根幹で搗臼(とううす)を作った。搗臼は月叟寺の宝物となり、後に天真自性禅師が慈眼寺を開くにあたって、禅師への贈り物として豆柄臼は受け継がれ、現在に至っている。

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宝永6年(1709年)と安政元年(1854年)の二度に渡る火災により、古記録及び七堂伽藍のほとんどを焼失したため、往古を詳しく知る術がない。

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本堂の西方庭園には、悩みや苦しみからお救いくださる福聚観音が祀られている。

(了)

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