日蓮宗お寺巡りサイクリング 17(南越前町今庄)
2022年10月29日 土曜日 今庄:晴・曇 7-15℃
天気は良いが、冷たい北風がやや強く吹く。
今日は南越前町の次の4ヶ寺を訪問する予定。慈眼寺は曹洞宗のお寺である。
福井から今庄までを自転車で往復するには距離的に無理があるので、ミニベロのダホン・ルートを車に積み、今庄のサイクリング・ターミナルまで行き、そこからサイクリングを開始することにする。
サイクリング・ターミナルはJR今庄駅・線路の東側にあり、目的のお寺などがある今庄町の街並みは駅・線路の反対側にある。
線路を横切って(正確にはアンダーパスを通って)反対側に出るための自転車道路は、今庄駅から北方へ数分行ったところに一か所しかない。
線路をくぐって、今庄駅の方に戻り、駅を左手に見ながら細い道をちょっと走ると、右手に願満寺の境内と思える墓地が見えてきた。
お寺の裏口にあたるようなところから境内に入り、正門の方に向かうと、特徴のある鐘楼門が見えてきた。
願満寺は元亀元年(1570年)の創立。
領主赤座但馬守景秋の奥方の願いにより建立された。
当初華岳寺と称していたが、後改称。
開基は本珠院日宝。その記念塔が境内に建っている。
寛政11年の大火で類焼、のち再建し修復改装した。
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続いて善勝寺へ向かう。地図を頼りに細い路地をあちこち5分ほど走って到着。
善勝寺の創立は文禄元年(1592年)、京都妙満寺日教上人の弟子日恵の開山。
珍しい土蔵造りの本堂、庫裏となっている。
寛政11年の大火で類焼し、続いて文政6年と天保8年にも大火で類焼等により記録宝物等の一切を焼失し、由緒は不明。
昭和19年に36世日歓の代に顕本法華宗より日蓮宗に改宗。
尼僧が逝去されてから30年以上無住職寺院となっている。
最大10軒あった檀家は、平成元年には8軒、現在(2019年)は5軒になったとのこと。
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今庄は宿場町として発展した町で、現在でも当時の建物などが多く現存している。
狭い路地の街並みは、自転車で回るには好都合である。
ついでにあちこち古い建物などを見て回る。
古い商家の入り口の軒下にこんなものを見つけた。大曼陀羅が顕しているものと同じかな?
・・・
この後の行程としては、今庄の町を離れて国道476号線を走り、久成寺と曹洞宗の慈眼寺を参拝する予定だったのだが・・・。
冷たい強い北風が吹いているので、サイクリングは中止して、自動車で参拝することにする。
国道476号線をしばらく走り、右手に外れて古木の集落に入り久成寺に到着。
久成寺の開山は日琢。2世日性により創建された。
日性以来、歴代が神明社の別当(神仏習合が行われていた時代に神社を管理するために置かれた寺)を兼ねていたが、9世日妙の代に分離した。
その神明社はお寺のすぐ近くに建つ。
以來住職が断続して、いつの頃にか在俗の人によって久成寺と記されるようになった。
しかし当地区の各宗仏教会では久昌寺が通用されているとのこと。
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国道476号線をさらに東方へ走って、慈眼寺へ。
慈眼寺の創建は嘉慶元年(1387年)、天真自性禅師が開山したのが始まり。
杉並木がすごい。
歴代領主から帰依されたことで寺運が隆盛し、天真派の根本道道として最盛期には境内に7堂伽藍が立ち並び、塔頭17ケ寺、全国の末寺は1200ケ寺を数えたという。
中世には朝倉氏に庇護され、朝倉氏が織田信長により滅ぼされると、当地は織田家の家臣である府中三人衆(不破光治、佐々成政、前田利家)が支配し、連名で寺領21石が安堵されている。
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国道476号線は交通量も少なく、サイクリングには最適の道路だ。
国道沿いには他にも見所がある。
いつか、サイクリングで再度訪問し直すことにしよう。
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