日蓮宗お寺巡りサイクリング 3(三国、あわら市)
2022年4月24日 日曜日 曇り、13-23度
今日は三国町とあわら市のお寺巡りをする。
三国町は坂井市に属し、下の地図で左下の妙海寺と左上の妙信寺がある。
あわら市には右上の妙覚結社と右下の妙隆寺がある。
妙覚結社は普通の寺院とは異なるようで、堂宇も建物もないようなので訪問する必要はない。
中角歩道橋のあたりで九頭竜川サイクリングロードに上がる。自転車は電動アシスト付きパナソニック・ハリヤ。
九頭竜川の左岸堤防を高屋橋まで走り、橋を渡って今度は右岸堤防を三国までずっと走行する。
サイクリングロードは一般道路と一緒になる箇所もあるが、それでも自動車は少ないので安心して走行できる。
サイクリングロードは汐見公園が終点。ここでトイレ休憩。
妙海寺は汐見公園からすぐのところにある。
享禄年間(1528-32年)の創立。もとは真言宗のお寺でしたが、弘治3年(1557年)に改宗して現在地に移転したとのこと。
福井には真言宗から改宗したお寺多いです。日像上人が関わっているようですが、詳しいことは分からない。
立派な山門があり、敷地も広く本堂も大きい。
次に三国町の街中を見ながら東尋坊の方へ向かう。
海岸道路を走ると、やがて参道入り口の標識が見えてきた。
妙信寺は東尋坊における自殺者供養・未遂者更生救済のために昭和6年に創立された。
ついでに東尋坊タワーを見ながら、あわら市に向かう。
鴨池を通り過ぎる。冬には鴨が見られるはず...
芦原温泉の街中で偶然に見つけた。
杉田定一のことは、足羽山に石碑があるのでウオーキング中に知る。
以前は田んぼだったのだろうが、今は麦畑。
旧地名の金津町市姫に入って、妙隆寺に着く。
ネットで次の記事を得る。
江戸時代には北陸街道の宿場町として栄えた金津は、戦国時代に金津城が築城され基盤が整備された。その城主溝江氏の菩提寺が妙隆寺である。
金津城は1574年の一向一揆によって焼失し、一族共々自刃しているが、一人の遺児が逃げ延び、織田信長、豊臣秀吉に仕え、金津城を再興し大名となっている。しかし、関ヶ原の戦い後領地は没収されている。
妙隆寺は戦国時代に開創されているが、溝江氏が金津を離れて以降衰退したといわれている。現在は、妙隆寺が金津城跡を管理している。
本堂には立派な大曼陀羅の額が掛かっている。
金津から向かい風を受けながらかなり走行。電動アシストのパワー全開。
ようやく舟橋を渡って福井市街に入る。火野正平さんはこの橋を怖くて渡れないかも...
3時帰宅。うっかりしてサイコンのデータを保存するのを忘れ、走行ログが消滅。バッテリー残量の40%から判断して、70kmぐらいは走行したと思われる。
ああ、疲れた..。
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