富山市内日蓮宗寺院巡り
2024年3月7日 木曜日 晴・曇 2-7℃ 北北東5m
この時期に発売された「北陸おでかけtabiwaパス」という北陸エリア一日乗り放題のフリー切符(980円)を利用して富山市へ向かった。
福井駅9:21発のJR電車で金沢へ行き、金沢駅から「あいの風とやま鉄道」に乗り換えて、12:04富山駅に到着。
富山駅前から市内電車を利用して、広貫堂前まで行く。運賃は210円で、ICOCAが利用できる。
市内にある日蓮宗のお寺は地図で見るように梅沢地区に10ヶ寺が群集している。
江戸時代には富山城下南面の防備のため、約60の寺院を集めて寺町を形成したが、その後明治3年の廃仏毀釈に先駆けて富山藩は合寺令(ごうじれい)を公布して、藩内205の寺院を七宗七寺に統合した。
これにより、寺院は打ち壊され荒れ果ててしまったが、翌年の廃藩置県の後に寺院復興運動が盛んになり、少しずつ寺院が集まり出した。
しかし、大二次世界大戦の空襲で再び壊滅、戦後になって復興はしたものの、往時の面影はなくなってしまった。
現在は鉄筋コンクリート製の寺院が多く建ち、当時の風情は感じられないという。
寺院が群集する梅沢地区の南西端にある乗光寺から参拝を開始し、反時計回りに巡って行くことにする。
乗光寺
乗光寺の開山は正覚院日條上人で、福井県越前の上木氏の出である。加賀藩三代前田利常公の実母福寿院の甥にあたる。
創立は慶安2年(1649年)。利常公の母である福寿院は熱心な法華信者であり、この援助により羽咋市にあった他宗派の常光寺を改宗・改称し、現在の地に移し、富山藩十万石分封に伴う藩士の菩提寺として建立された。
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立像寺
立像寺は永禄元年(1558年)3月18日の創立。開山は蓮蔵院日治。
加賀藩主前田利家の帰依により永禄年中に加賀越中両国に三立像寺が建立され、その一寺である。
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大法寺
大法寺は慶長十一年(1606年)4月8日、照盛院日行上人が開基とされる。
富山藩第二代藩主、前田正甫(まさとし)公が当山第8世一龍院日徳上人の教化を受けて篤く法華経を信じ、日蓮宗に帰依して本寺を前田家の菩提寺と定めた。
大法寺の一画に菅神祠(カンジンシ)が立つ。
富山藩前田家の祖神である菅原道真公(天神様)を祀るために富山藩の細工人に作らせ、その中に天神様を安置して富山城内に置き、朝夕お参りしていた。
昭和34年に大法寺に寄進された。
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妙傳寺
妙傳寺の開山は、応仁元年(1467年)。
応仁の乱により京都に見切りをつけた京都本圀寺の僧、大覚院日教上人が布教のため越中に赴き、陀羅尼寺村(現富山市上栄)の真言宗の一寺の住職を教化して法華経に入信させ改宗させたのが本寺の興りである。
現在の本堂は平成16年に改修された。
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法華寺
法華寺は、寛文4年(1664年)の創立、開基は華成院日俊。
最初は長演山法華寺と称したが、寛文4年に日妙山に改称した。
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長清寺
長清寺は寛永元年(1624年)の創立。開山は実教院日解上人。
富山に加賀藩の支藩が設置されると、北陸一円で強盛を誇っていた龍谷妙成寺より日解上人が布教のため守護神である八幡宮を護持して派遣され、根拠地を神通川のほとりに置いた。
山号を地名神通川に即して神通山と称して多くの帰依者を得た。江戸後期に現地に移転。
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利生寺
利生寺は、宝永2年(1705年)の創立。開山は驚夢院日帰大徳。開基檀越は富山藩主二代目の前田俊甫。
開山以来、利生院と呼ばれていたが、終戦後、現在の利生寺と改称された。
富山藩より寺領と丁字梅鉢の定紋を拝領し、前田家歴代の祈願所とされた。
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妙国寺
妙国寺は、寛永8年(1631年)の創立(文禄4年4月8日とも)。開山は信命院日全。
寛永元年の頃より日全は錫を進め、金沢、高岡、富山に妙國寺を創立した。神通川で水行の苦行を行い、命終の時には当国主に生まれ変わり妙法を宣布せんと誓い、37日の満願の日に水中に没したという。
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本證寺
本證寺は、永正年間(1504年)正持院日勝上人の開山。
元は真言宗の寺院であったが、京都本圀寺14代日助上人が北陸順錫の折、問答を挑んだが、逆に説破され改宗した。
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本顕寺
本顕寺は文明18年3月10日の創立。開山は一如院日卯。
現在、本堂のような堂宇は見当たらない。
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無事、10ケ寺の参拝を終え、同じく市内電車で富山駅に向かい、遅めの昼食(ホタルイカの天丼)をいただいて帰路についた。
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