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2022年5月10日 (火)

日蓮宗お寺巡りサイクリング 8(越前市C)

2022年5月10日 火曜日 晴のち曇 8-21℃

今日は、越前市にある日蓮宗のお寺のうち、下の地図のC区内にある3ヶ寺を訪問する予定。

上から順に、妙弓寺、感應寺、功徳寺。巡る順序は功徳寺から北上していく。自転車はいつもの電動アシスト付きパナソニック・ハリヤを使用。

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最初はいつものように旧街道の北陸道を走り、江端あたりで南東方向に向かい、国道8号線に入る。

右手に音楽堂(ハーモニーホール)が見える。

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8号線から左手に外れて、農道を走って行くと、文殊山が近くに見えてきた。

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鯖江市では「きらめきロード中河」という浅水川の堤防沿いのサイクリングロードを走行する。

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この道は4月の桜の時期はきれいだろうな。

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越前市の五分市町までは、まだ先がある。

ここから40分ほど走り続けて、ようやく五分市町の功徳寺に到着。

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功徳寺の創建は応永2年(1395年)。元は真言宗のお寺であったが、日像上人の北陸弘教の折に真言宗から日蓮宗に改宗。

もとは旧今立郡北日野村庄田区にあったが、約300年前、五分市小丸城に居を構えていた織田信長の重臣である佐々成政公の陣屋敷があった現在地に移転。

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次は、感應寺に向かう。ここから3キロほど北の方へ戻る。

寺院は、旧名称今立郡の粟田部(あわたべ)町にある。

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天文7年(1538年)の創立。開山開基は法性院日誉。もとは真言宗であったが"天文5年の法乱"の時、京都妙顕寺山内の広盛が当地に難を避け、天文7年に改宗した。

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"天文5年の法乱"というのは、天文法華の乱、天文法難ともいい、京都の日蓮宗を、比叡山をはじめとする諸宗が攻撃を加えた宗教戦争のことである。

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ついでに、感應寺のすぐそばの岡太(おかふと・おかもと)神社にもお参りする。

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この地はお蕎麦が美味しいことでも有名。

残念ながら、ちょうどお昼時で、有名な蕎麦店にはお客がいっぱいで、食べるのを諦める。

あと一つ訪問するお寺は妙弓寺。ここからそれほど遠くない。

10分ほど走って到着する。

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妙弓寺は中津山町にある。天正12年(1584年)(または天正5年)の創立。開山は松葉院日羿。

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寺号に「弓」という漢字が使われているのは、武具の弓と何か関係あるのだろうか...。

天正元年に織田・朝倉の兵乱が続くころ東郷村(福井市足羽町)に貞慶院日随が開山の慈雲山妙延寺があり、この寺は一乗谷城主朝倉義景の家臣であった弓術師範役山田文右衛門尉吉高一家の菩提寺であった。

ということで、弓と関係はありそうだ。

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さらに歴史を調べてみた。

朝倉は織田に敗れ、妙延寺も兵火により焼失、吉高は日随の末孫常安と共に日法作宗祖像を背に片上大野(大野町)に逃れ、南中津山に兵乱の静まるのを待って一宇を建立。

貧しさのために吉高は猟を糧としたが、殺生を懺悔し出家して身延山で修行。

天正12年2月に山寺号を身延17世日新より授与され、名を松義院日羿と改め粟田部新道に寺院を建立。

明治6年に大火により類焼、中津山妙延寺に仮居所を定める。

同20年に栗田部八幡に再建。大正10年8月に36世法導院日妙が現在地に移転、同12年に本堂を新築、旧本堂を庫裡とした。

寺院のすぐそばに神社があり、名称が、「式内国中神社」というこれまたユニークな名称である。

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手水鉢もユニークで、山の自然の水を引いているようだ。

もっときれいに手入れをして欲しいな。

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ここでちょっと一休みしてから帰路につく。

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帰りは向かい風が強く、電動アシストのパワーは全開。

来た道とほぼ同じ道で帰路につき、14:20着。

走行距離は51.2km。バッテリー50%消耗。

さあ、越前市の最後のお寺巡りは旧武生市街だ....。明日行けるかな...

コメント

とても面白いです。

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